でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『戦後ドイツ ―その知的歴史――』

 こうした急速な変化と軌を一にしているのが、アメリカ地区を中心に成された非ナチ化の処置である。これは、住民にアンケート用紙を配り、ナチ時代になにをしていたか、党員であったか、どういう職についていたかなどを申告させ、審査の上で一定の基準以下であれば「非ナチ化」されたとみなされ、一人前の市民に復帰できるという機械的かつ形式的なもので、これによって非常に多くの人々が、過去の心性とは無関係に今日から民主主義者になれた。一種のみそぎみたいなものであるから、有名な洗剤ブランドであったペルジールをもじって、「非ナチ化」の証明書をペルジール証明書などと嘲る冗談も囁かれる始末であった。しかも、一介の市民が熱に浮かされていくつものナチ党組織の下っ端として「活躍」していた方が、実際にナチの軍備拡大に協力した軍需産業の重役より――彼がたまたま党員でなかったらなおさら――損をするという矛盾があった。その意味では、ナチスを運だ過去と決着をつけないで、戦後の再建に走りやすくしたのには、占領軍も逆説的なかたちで一役買っていた。

P.13

ギュンター・グラスの)出世作ブリキの太鼓』(一九五九年)は全世界で翻訳も含めて三〇〇万部以上と言われるベストセラーとなった。三歳で成長の止まった主人公、大声を出すとガラスを割れるという特異な能力を持つ主人公が、ナチスに合わせて泳ぐ周りの人々を冷静に見つめる一方で、自分もその芸を活かしてナチスのなかで出世していく様が描かれている。

P.98

 ――ドイツ語でシュピーサーと呼ばれるこのタイプは、自分の生活の安定がすべてで、政治意識はゼロ、経済的にうまくいかなくなるとすぐに犠牲の子羊を探しだそうとする。

P.119

 もうひとつは、五八年に密告によって始まったいわゆるアウシュヴィッツ裁判がヤマ場を迎えたことである。殺人工場の関係者二二人に対して、二〇ヶ月に及ぶ裁判がなされ、三五〇人に及ぶ証人が出廷し、一九人に有罪判決が下された。次々と明るみに出される言語に絶する残虐行為、今でも心の傷の癒えない被害者たちの証言、そしてなによりも、被告人たちが戦後は「カタギの」職につき、誰からも好かれるごく普通の善良な市民として家族、友人、同僚たちのなかで暮らしつづけてきた事実は、「人あたりの良さ」とか「品のいい物腰」とか「物分かりの良さ」というものが、いかなる防波堤でもないことを思い知らせた。むしろ、そうしたものは、社会的適応の産物でしかなく、そのつど強い方につくという権威主義的パーソナリティの現れ以外のなにものでもないのではないかとすら思わせた。多くの裁判傍聴記が書かれ、休憩時間にコーヒーを飲みながら、弁護士と談笑する被告人たちのジェントルマンぶりに対する違和感が主題化された。

P.122

 この戯曲(自らも亡命し、戦後はしばらくスウェーデンで暮らしていた作家のペーター・ヴァイスによる戯曲『追求』)はまた、ドキュメント的な手段を多用し、また誇張を通じて、常識とされていることが実はとてつもない事態であることを暴露するさまざまな手法を用いている。ブレヒト以来、異化効果と言われているものである。文字や写真をスライドで使う手法などもそれであり、方法の面でも、戦後の「大入り満員、中味は空っぽ」と言われた、善良な市民の感動を誘う古典的演劇ではなく、多様な実験の試みられたヴァイマール時代のそれに戻ろうとしていた。

P.124

 ハーバーマスに言わせれば、先進国において変革が可能になるのは、富の増大に伴い、個人個人が今までの盲従的態度を維持できなくなり、欲望の放棄をしなくなった場合である。つまり、内部の自然の抑圧が不可能になった結果として、共通の議論の場を通じて社会的連帯が行われ、価値の設定へのトータルな参加が望まれるであろう。それが許されなければ、資本や国家の体制すら機能しなくなるであろう。そういう経路を通じてのみ変革は生じる、というのだ。

P.160

――知識人の位置、哲学や思想の位置はますます微妙な、危ういものになってきた。誰に頼まれたわけでもないのに、なんのために物を考えなければいけないのだろうか――

P.232

「ドイツの戦後」が知りたかっただけなのに。
サブタイトルをよく読まずに手に取ったのが悪いのだが、サブタイトル「その知的歴史」が示す通り、哲学・思想史としての「戦後ドイツ」が主題であり、歴史というものは切り取り方次第でいかようにも論じられるものだと改めて理解させられた一方で、テツガクというものは、ためのためのためのための学問なんだなあという印象をいっそう深めさせられた。
う~ん。