not for me ということで、ネガティブなことしか語れなさそうなのだが備忘録として。
第一の惑星はブラックホールの近傍である。惑星に接近するだけで、そのブラックホール由来のウラシマ効果が発生するほどの影響を受けている。惑星そのものの居住可能性は高いとして、宇宙的環境として移住先にふさわしいであろうか?
背に腹には変えられない、間近に迫った前門の狼から逃れるために、やや遠い後門の虎には目を瞑るという選択もあるかもしれない。しかし、ドラマのために科学的思考(リアリティ)を放棄したケース第一弾として記憶された。以後は頻繁に発生するのでいちいちカウントしない。この映画ではリアリティとドラマはトレードオフ、そう覚えた。
ブラックホールの影響だろう、ものすごい潮汐力が働いているようで、その惑星では日常的に高波が発生している。視覚的効果ゆえに誇張されているかもしれないが、何十階建てビルの高さに相当するようなものすごい波にのしかかられてもコムサイ的着陸艇はもちこたえる。着陸艇の形状からサーフボード的に波に乗れたと解釈したとしても、かなり強引な好意的解釈が胃の腑に残る。着陸艇は、人間の足が立つような水深に着陸しているのである。
第二の惑星では格闘アクションが始まる。頭突きで割れる宇宙服のヘルメット。割れることはあるだろうが……頭突きで? 補修装備を宇宙服に備えていない?
人類の危機に際しても個人主義を貫ける人物が登場するのは『七人のイブ』でも確認された描写で、アメリカ人は自身の特徴をそのようにとらえているのだなと観察できる。それはまあいいとして。
ブラックホールの内部なんぞ現在の人類には未知であるからして、どのような解釈をしても良いといえば良い。しかし、部分的に破壊されていかにも構造的にもろくなった母船も、コムサイも、高重力に持ちこたえすぎじゃね?
極めつけ。謎の空間。五次元から日常的に観測される風景(四次元)を三次元で実現したもの、らしい。この辺は『エンディミオンの覚醒』を思い出させる。あのシリーズは高度に発展した魔法と区別のつかない科学が実現されていたので、どんなことが語られようとも反発することはない。本作品は、現実の世界と地続きで、しかもそれほど遠くない未来を語っているからこそ反発を覚える。設定の時点で負けている。
ともあれ、その空間の印象からか、五次元人に救われたんじゃないかという考察が劇中でなされる。五次元人ではなく、未来の地球人が過去に手を差し伸べているのだと主人公は閃く。突拍子もなく。根拠は示されない。緊張と興奮を示す主人公のAMSRが不快。
ブラックホールに落ちたら実家の本棚の裏側に居た……? もう何度目だろうか。好きにやってくれ。
本棚の裏側、並べられた書籍の隙間から娘が見える。娘からは父親は見えない。映画冒頭で示されたゴーストの正体は五次元を経由した未来の父親だった! ――ここ、この映画のキモでいいんですよね?
モールス信号は古いのだろう、父親はバイナリコードで情報送信する。見たところ平文なので、エラーとかいろいろ問題があるだろうが、そこら辺はまあよい。問題は手段。父親たる主人公が娘に贈った、おそろいのアナログ時計で送受信がなされる。どういう理屈でリンクしているのかは不明である。愛、らしい。
そう、愛。
愛で解決を語る物語は嫌いだ。無敵のワイルドカード。なんでもありになる。死んでも復活。ヴォルデモートも退けられる(それじゃあんまりだと思ったのか、後に理由付けがなされたようだが)。
白けるワード筆頭。
のっけからはてなマークの映画だったが、クライマックスで完膚なきまでに not for me になった。
エンディングは、まったくもって魅力的に描かれていなかった女性登場人物を救出に行くことになる。こういう結末にするなら、もう少しこう、キャラ作りのやりようがあるんじゃないだろうか。主人公の娘はなんだかいろいろ知ってるようで、ブラックホールに飲まれた母船の行方もご存知らしい。銀河の果ての未知の星にいるようだ。
スペースコロニーを建造できるほど文明レベルも進歩したようですし、余裕があるなら、人類のプロジェクトとして英雄救出が計画されてもよさそうなものだが、主人公が無断で一人乗りっぽく見える宇宙艇に相棒のロボットとともに乗って出かける。まあオマージュですよね。とはいえ。トム・クルーズならやるだろうが、いかなアメリカ人でもこんなことはすまい。宇宙飛行士ならなおさらに。『ラスト・オブ・モヒカン』エンディングの亜流――私の出番よ!とばかりに登場するヒロインが思い出される。
めいくどらま。
ロボットのデザインはユニークだが、音声が人類的なので誰が喋っているんだかわからなくなることがあった。古典的なロボットボイスでよかったんじゃなかろうか。
人類は『コスモス・エンド』から一歩も進めていない。