でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて

『夜の言葉』は拝読させていただいた。まだ『帰還』が発表される前のこと、アースシーの世界をこよなく愛していた頃のことだ。

『帰還』は正直、ものすごくがっかりした。作者自身が構築した世界を自ら否定しているような気にさせられたからだ。

以後、ル・グィンの作品からは距離を置いてきた。
逝去されたことを聞いて残念に思いはしたものの、著作を読むなど追悼の儀はとりたてて思うことはなかった。

本作品はエッセイである。だからこそ、『夜の言葉』の良い読後感を思い出したからこそ、読んでみる気になったのかもしれない。

氏に対する「フェミニズムの旗手」という評価がピンとくるほど氏について詳しくないのだが、『帰還』を読んだ時にそういうことなのかと疑い、また自認する風合いが本書から読み取れ、ああ、そうだったんだなと初めて思った。

現在のフェミニズムの風潮は他者を攻撃しすぎる嫌いがある。それが良い時代もあったが、いつまでもそれではいけない。そう本書で氏は述べている。『帰還』はかなり攻撃的だった。

カメロンxイシュトヴァーン本になってしまった未完の某大河小説も攻撃的だった。それまでの読者を、少なくとも一読者を裏切るような作品に変化させたという意味において。

なかなか供養できない思いが残るが、未読の著作に触れて、成仏させられるかどうか試してみよう。

みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史

前半に透けて見えるのは、おそらく読むであろう関係者への迎合。後半に刻まれているのは、日経コンピュータのドヤ顔。

前半は苦闘の末に実を結んだ健闘を讃えている風に見える。ぬるい内容だが、その中に「このシステムの中核がCOBOLである」ことがさらっと触れられている。21世紀になってはじめてCOBOLに触れた技術者たる我が身としては、このシステムの中核がCOBOLであることに苦闘はまだ終わっていないのではないかと危惧せざるを得ない。

後半は「だから言ったじゃんかよう」なノリ。後世の歴史家語る的な立場からの物言いめいて、公平ではない印象がある。だが、前半よりは辛口で詳述されている。

『闘うプログラマー』のようなノリを期待していたのだが、かなり物足りない。
だが、ITへの投資を軽視するなかれという啓発としては良い内容かもしれない。

 

反日種族主義

韓流というものが流行った時すでにTVを見なくなって久しく、どのようなものなのか興味を覚えたのは何年かしてからのことだったと思う。チャングムが人気でドラマをやっているようだと理解していた。流行りを知るのであればそれでよいかと考えたが、TVは見ないので小説を読んだ。

読む前の印象は韓国版『おしん』というところで、主人公が成功を収めていく過程で肢主人公自身が「韓国人は怨と火が重要な感性である」的なことを説き、なるほど、と思ったものだ。以後、韓流とやらには手をつけていない。
・・・『ルーンの子供たち』は韓流じゃないよね?

解決した問題を未解決であると主張する韓国の言い分は、国際的ルールを無視したものであると理解している。ただ、それがなにに根差すものかはきちんと理解していなかった。
本書を記した立場の人物らは、国際的な韓国の立場を憂慮する者たちであろうか。日帝と記す様には植民地支配時代に対するネガティブ的な感情が透けて見えるように思うが、その上で、韓国自身の主張は事実に基づくものではなく、おそらくは左の大国絡みの政治的案件であろうと述べている。

日本の一国民としては、かの国について「こっち見んな」という以外、特別な感情はない。本書を読んだうえでもそれに変わりはない。

いちばん詳しい「北欧神話」がわかる辞典

北欧神話はざっくりと知っている程度で、いろいろと知らないような気がしたので何か読んでみることにした。内容を云々できる知識はないが、本書は北欧神話を網羅的に扱っており、ざっくりとしか持っていない知識を補完するのにちょうど良いと思える。

本書はまた、フィンランドの神話である「カレワラ」についても紹介している。魔女ロウヒの名はどこかで聞いたことがあるような気がするが定かではない。フィンランド神話由来ということを自覚した。
「カレワラ」の主たる英雄は「老いて不抜なるワイナモイネン」というが、母たる女神から産まれたときすでに老いていたというユニークなヒーローで、求婚しては振られ続けている。
イリアス』や『オデュッセイア』、あるいはバビロニア神話に関する書籍を読んだとき、トールキンが創作した神話のエッセンスをそれらから感じられたが、「カレワラ」からは最も強くそれを感じた。というか、トールキンが創作した神話には非キリスト教的なものならなんでも含まれているような気がする。
気のせいかもしれないが、ワイナモイネンのイメージはゲド的でもあるし、ウォーロック的でもある。カレワラ神話の雰囲気は『イルスの竪琴』を思わせる。欧州で「カレワラ」が流行ったことがあったのだろうか。

砂と人類

コンクリートアスファルト、ガラス、シリコンチップ。
現代文明に欠かすことのできない資源としての砂を、本書は語っている。
砂はどこにでもある。そんなイメージがある。最も豊富な資源、本書もそう述べている。それが枯渇しつつあるという。

コンクリートアスファルト、建材として使用可能な砂の形には制限があるという。砂漠の砂は風による摩滅で丸く、これに適さない。川で取れる砂は適度に角があり、好ましい形をしているという。
ガラスやシリコンチップには石英のみ使用可能である。グレードがあり、石英であればよいというものではなく、高純度の石英が必要だ。石英以外のものに触れると台無しになるので、加工には高純度の石英で作った器を用い、さらに高純度な石英を投入して、シリコンウェハーを作る。イレブンナインの純度が必要だという。

掘削にも、砂は用いられている。シェールガスの掘削は砂と水が必要で、というのも、水の浸透を助けさせるために岩盤の亀裂に砂を紛れ込ませるためで、やはり砂漠の砂は適さない。

砂浜は人類の知恵で消滅しつつある。ダムや護岸設備などの働きによって、自然に供給される筋道が断たれてしまったという。砂浜を保護する措置を養浜というらしい。世界各国の著名な観光地も、それで観光資源たる砂浜を維持しているという。

昨今読んだ本の中では『サカナとヤクザ』、それとなんとなく印象がかぶる。知らなかったことを知った喜びと、知ったことによるがっかり感の得具合であろうか。

 

潜行三千里

著者のイメージは安彦良和画のアレが強いので、それが読書に影響を与えたかもしれない。
戦争終結直後の中国の様子、情勢を知るにはよい書だとしても、だから著者が潜行を志した理由が表面的なものにしか見えない。著述の通りの行動をしているならば、中国との懸け橋たらんとし、国民党に加担して共産党を制しようとしたことに偽りはないようである。
しかしながら、Wikipediaなどに記されている帰国した後の動静を見るにやはり、戦犯として裁かれることを忌避したための行動ではないかと読めてしまう。

著者の視点からは共産党の軍事行動、支配は巧みであり、一方で国民党の腐敗が強調され、それを故とする民衆からの憎悪が描かれている。
『マオ―誰も知らなかった毛沢東』もそうだが、著者のバイアスがどれだけかかっているか不明な書物は慎重に読まねばならないと思えた。

平壌「十五号官邸」の抜け穴

十年近くたって、ぼちぼちと手をつけ始めた亡父の蔵書より。

タイトルはキャッチ―。小節を割いて紹介されている程度で、本題では全くなく、この本になんでこのタイトルのかついたのかと考えれば、そう結論付けるしかない。見識を全く持たないので、タイトルの持つ意味、その示すところがどれほどの価値を持つかは不明である。

金正男の母親が亡命するくだりが焦点と見受けられる。著者はその人物とは甥にあたる関係だが、歴史の間近な傍観者でしかない。亡命が成功したのかどうか不明で、きちんと結んでいないあたり、物語であるならば不完全というしかないので、著者の見聞によるというあたりには信憑性はあるのかもしれない。

金正男氏が何故あのような死に方をしたのか遠因を知る手掛かりになるのかと思ったのだが、想像を掻き立てられただけに終わった。