でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『アメリカの鏡・日本』

 鉄鋼生産だけとってみても、十分状況がわかる。鉄はいかなる軍事計画にとっても筋肉であり骨である。一九三九年、アメリカは五二五〇万トンの鉄を生産していた。生産はさらに増大し、一九四二年には八八〇〇万トンに達した。これはドイツ占領下のヨーロッパも含む枢軸国全体の推定生産量を上回る数字である。日本の生産量は「世界征服」に乗り出した年の一九三四年で三三三万四〇〇〇トンである。大戦中の一九四三年に、七八〇万トンまでもっていくが、これをピークとして一九四四年には五九〇万トンまで落ち込んでいる。この間、基本原料の保有量と海上輸送圏は著しく縮小され、戦争終結時の鉄鋼生産量は一五〇万トンになっていた。ちなみに一九四六年は三二万トンを生産にしたにすぎない。

 アメリカと諸外国の生産能力を数字の上で比較するにつけ、なぜ私たちが日本を怖れてきたか、わからなくなるのだ。アメリカは精神鑑定が必要かもしれない。

P.133

 私たちは「満州事変」、日本の汎アジア政策、共栄圏構想を非難してきた。しかし、日本は彼らの行動を、私たちのテキサスとパナマ運河地域の領有、モンロー主義、汎アメリカ連合と同じ言葉で説明した。私たちは「白人の帝国主義的支配から有色植民地住民を解放する」という日本人の「神聖なる使命」を偽善ときめつけた。しかし、西洋文明と西洋の政治をアジア、太平洋、南太平洋諸島、アフリカの原住民に及ぼすのが「白人の責務」ならば、日本の行動理念はそれに対する論理的かつ当然の答えである、と日本は主張していた。

 日本人と政治意識をもつアジア人たちがよく知っているこうした事実は、私たちの占領を歴史としては面白く、政策としては恐ろしいものにしている。私たちは、日本人の性格と文明を改革すると宣言した。しかし、私たちが改革しようとしている日本は、私たちが最初の教育と改革でつくり出した日本なのだ。

P.168

 この時期(注:ペリーによる開港)から十九世紀末までの日本はいわば半植民地だった。欧米列強の代表たちは、貿易のすべてを管理し、税率と価格を決め、沿岸通行を独占し、日本の金を吸い取り、九十九年間の租借権と治外法権に守られて日本に住んでいたのだ。列強は自分たちの植民地と中国で享受する特権的立場を日本にもち込んだ。この期間、ほぼ四十五年間にわたって、日本は欧米列強の直接「指導」のもとで「改革され、再教育された」のだ。

 日清戦争のあと、欧米はこの生徒の卒業を認定し、一八九九年に「不平等条約」最後の条項が書き改められた。列強は特権を返上し、日本は高校卒業証書をいただいて大人の仲間入りをした。そして、日露戦争で、日本は大学卒業論文を見事に書き終える。一九一九年、第一次世界大戦後の講和条約を協議するパリ会議は、日本がインターンを無事終えたことを認めた。日本は米英仏伊と並ぶ輝かしき「五大国」、すなわち時の「平和愛好国」の一員となった。日本は優等賞をもあって卒業したのである。

P.226

 日本が西洋に認められるうえで、日露戦争は有益な学習だった。文明世界は奇妙な小男たちの勇気と闘争心に仰天し興奮した。彼らは民族衣装のキモノを着ながら、たちまちにして近代戦の技術を習得していたのだった。一九〇四年十月四日付のロンドン・タイムスの記事が、当時のイギリス人の反応を物語っているが、それはほとんどのアメリカ人が感じたことでもあった。

 極東のこの戦争を取り巻く状況には注目すべきことが多い。中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶりである。われわれは、不本意ながら、日本のすべての人間のすべての行動を支配し動かす精神力の存在を認めざるをえない。……この力はいったい何なのか。その存在を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。……勇気は西洋にとっても珍しいことではない。……が、これは単なる勇気ではない。その背後にもっと違う何かがある。もし西洋の軍隊がそれをもっていたら、西洋のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったろう。そういう何かである。これは何か。これは何か(この調子が延々と続く)。

P.253

 こうした公式記録を見るかぎり、なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的に」行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

P.258

 大戦中、ソ連共産党よりもむしろ蒋介石を支援していた。現在、この国では蒋介石政権と共産党政権の内戦がつづいている。すでに二十年に及ぶ戦争だ。そして私たちが蒋介石を、ソ連共産党を支援することによって、双方とも中国の平和と幸福を破壊している。内戦は高度なパワー・ポリティクスのゲームになっているのだ。

 中国との関係は、今後ますます、私たちを悩まさずにはおかないだろう。私たちは中国を「われわれの陣営」であり、蒋介石を友好国中国の代表と考える癖がついてしまったが、これは錯覚である。蒋介石が書いた『中国の運命』の完全版を丹念に読むと、あまりにも米英に依存せざるをえない現在の立場を慨嘆していることがわかる。本の中で彼は、日本の「帝国主義」だけでなく、西洋の「帝国主義」全般に対する怒りの気持を表わし、近代に入って中国が混乱した原因は不平等条約下での欧米列強の行動にあったと非難するのだ。

 この本を読むと、蒋介石が米英の援助を受けているのは、これによって強力な政権を樹立し、名実ともに外国の支配から抜け出すのが狙いであることがわかる。

P.363

 西洋列強はいま、日本を激しく糾弾している。日本が「凶暴で貪欲」であったことは明白な事実だが、だからといって、列強自身の責任は、彼らが思っているようには、免れることはできない。日本の本当の罪は、西洋文明の教えを守らなかったことではなく、よく守ったことなのだ。それがよくわかっていたアジアの人々は、日本の進歩を非難と羨望の目で見ていた。

 日本と他のアジア諸国の地位の違いは、人間としても国家としても、はっきりしていた。日本は「有色」人種の中でただひとり、ほぼ完全平等の地位を与えられていた。中国人は自分の国にいながらクラブや租界に入れなかったのに、日本人は事実上「白人」として受け入れられていた。開港地の中国人苦力は蔑まれていたが、日本人の召使いは「ボーイさん」と呼ばれていた。インドシナの住民登録簿には、日本人は「ヨーロッパ人」として記載されたが、中国人は「原住民」だった。

P.386

 国際関係は、民主主義国が関与しているかぎり、いつも道徳的に高められていくと考える人がいるかもしれない。しかし、極東の事件からは、この説の正しさは証明できない。米国政府はその外交政策を通じて、中国のみならず二十世紀の世界を混乱させてきたパワーポリティクス的なものに、たゆまぬ圧力をかけてきたはずだった。しかし、ヤルタでその努力を投げ出してしまったのだ。

 第一次世界大戦が終わったとき、アメリカは中国本土の外国資産を同盟国である日本に委譲することに反対した。これは注目すべきことである。しかし、ヤルタでは、ソ連のために権利委譲に同意しただけでなく、中国に圧力をかける労までとった。

 日本は、アメリカの対中国政策は中国の権利を考えたものではなく、日本には西洋と肩を並ばせまいとする考えに立つものだ、といってきた。ヤルタ協定で日本の見方は、はっきりとその重みを増した。

 アジアの人々は、秘密条約と大国支配の時代は終わったと思おうとしてきたのだが、ヤルタで元の位置にもどされたことを知る。第一次世界大戦当時の秘密条約とヤルタは、やり切れないほど似ている。第一次世界大戦中、同盟国の一員だった日本はイギリス、フランス、イタリア、そして同じく同盟国だった中国との秘密条約で、敵国ドイツが山東省にもっていた租借地の支配を約束されたが、実は中国は相談にあずかっていないのだ。

 第二次世界大戦中、ソ連(同盟国)は、イギリス、アメリカ、中国(同じく同盟国)との秘密条約で、敵国日本が租借権をもつ旅順の支配と、在満鉄道を中国と共同管理することを約束されたが、ここでも中国は相談にあずからなかった。二つの出来事の大きな違いを、アジア人の立場でみると、ヤルタのアジアにはアジア人の擁護者がいないということである。ヤルタ協定が調印されたとき、中国はまだ半植民地国家だった。そして、この取り決めについて、ルーズベルト米大統領蒋介石の同意をとりつけようとしていた。

 戦争後、ヤルタ協定を批准したソ連と中国の間で結ばれた条約は、日露戦争当時の極東の歴史を研究するものに、ロシアが中国にもっていた権益が、もう一人のルーズベルト米大統領(セオドア)の仲介で日本に与えられたときのことを思い起こさせる。主は与え給い、主は奪い給う。主の御名に祝福あれ。

P.404

昨年末に『潜水艦隊』を読了した。同書は戦後まもなく著されたもので、戦果などの確認のために米国の資料を引用している。それがきっかけで、米国の太平洋戦争観というものが気になり、本書を知るに至った。『潜水艦隊』と同様、本書も戦後まもなく著されたものである。

ある時、「太平洋戦争の起因はペリー来航である」と語って奇異なものを見る目つきをされたものだが、本書にて同じ考えをもつ向きがあることを知った。

日本の国土がもしある程度広かったならば、日米修好通商条約を改善することはより困難であっただろう。

本書は、そんなことを思わせる。baba yetu.