でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

チャリオンの影

 ウメガトはふたたび杯を返して壺をとりあげた。

「ときとして、人が心をひらき、みずからを媒体として、神々を世界に迎えいれることがあります」そして杯を満たし、「聖者とは高潔な魂ではなく、うつろなる人間です。天与の意志を進んで神に与え、放棄することによって、逆に行動を可能ならしめる者なのです」

上巻P.350

「失礼ながら、ドンド殿はわたしの手により、わたしのおこなった死の魔術によって生命を落としている。それは死に値する罪のはずです」

「ああ、なるほど。無知なる大衆が死の魔術に関して抱いている知識は誤りばかりだ。そもそもその名称からして間違っている。神学的には非常に興味深い問題なのだがね。よろしいか。死の魔術を試みることは、殺人を謀議し意図する犯罪となる。だが成功した場合、それは”死の魔術”ではなく”正義の奇跡”となり、犯罪ではなくなるのだ。犠牲者――被術者と施術者の双方ということだが――を連れ去るのは神の御手であり、役人を遣わして庶子神を逮捕させることは国王にもできぬ」

下巻P.108

久々に骨太のファンタジーを読みたくなり、物色していて見出した。
近頃は小説でも漫画でも映画でもアニメでも、冒頭で not for me と感じたら撤退することができるようになった。いや、映画館まで足を運んだ場合はその限りではない。修行が足りない。
本作は、とてつもなく地味な語りだしである。なのに気づけば第一章をするっと読んでしまっていた。つまり not for me は派手さやケレン味ではだけではなく、なにか違うものに依拠していると思える。小説においてそのひとつは文体ではないかと感じている。

世界設定はファンタジーRPGでいうなら、TSR的ではなく『混沌の渦』的な)だがストーリーはミステリーのようである。ミステリーは好まぬジャンルであり、それは謎解きにカタルシスよりも台無し感を感じることが多いためで、本作品も三箇所ばかりそんなくだりがある。それをおいても面白いと思わせたのは冒頭の謝辞にある「かつて教育機関にかけた中でももっとも有益な四百ドルと十週間だった」とおそらく無縁ではない。その講義は神学だったのか歴史だったのか、引用した「神の威光の具現」からすると神学だったのではないかと思わせるが、さて。