でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

ナポレオンを創った女たち

 フランス革命期の人々には、多かれ少なかれ、自分たちは地球の表面を一新する運動の先頭に立っている、自分たちは未来の人類のために闘っている、という意識があった。自国フランスだけでなく、世界全体を視野に入れ、≪自由と平等≫の思想を広めて世界中の人々を専制政治から解放しようという意気込みを抱いていたのである。
 この世界主義の理想はとくに革命初期に強く、これをもっともよく代表しているのがアナカルシス・クローツという人物である。クローツはドイツの生まれで、フランス市民権を獲得し、やがては国会議員にもなる。みずから「人類のための演説家」と名乗るクローツは、世界中の人々が等しく市民であるような世界連邦を考えていた。

P.27

 なんとかしてクレール・ラコンブたちの活動を押さえ込みたいと思っていた革命指導者たちにとって格好の事件が、一七九三年十月下旬に起こった。市場の女たちと≪革命的共和主義女性協会≫の会員たちとの間に、大規模な乱闘事件が起こったのである。
 革命闘争が激化して以来、豪勢な生活ぶりを誇示する貴族や金持ちがいなくなってしまったために市場の女たちはすっかり不景気になり、かつては革命に熱狂したこともあったであろう彼女たちも、今では革命を恨みに思う心境になっていた。女性協会の本部は中央市場の真向かいにあり、赤い帽子に赤いパンタロン、それに革命のシンボルである三色記章をつけて目の前を行き来する女性協会のメンバーたちの姿は、市場の女たちには目障りでしょうがなかった。それまでにも何度か小競り合いが起こっていたのだが、この十月二十八日の日には、市場の女たちが大挙して女性協会の本部を襲ったのであった。
 この事件は、国民衛兵隊の一隊が駆けつけてきてやっとしずまったが、数の上では市場の女たちのほうが圧倒的に優勢であったため、女性協会の側に重傷者数名を含む大勢の怪我人が出た。
 保安委員会(国会内に置かれた委員会の一つで、治安関係を担当し、公安委員会に次ぐ有力な委員会)はこの事件に飛びつき、三日後に「女性の政治クラブを禁止する」旨の法案を国会に提出し、この法案は国会を通過した。実は、クレール・ラコンブたちは保安いい界の部屋にも押しかけ、何度か保安委員会の面々をとっちめたことがあった。

p.58

 

 ゲッテルメルリンククリアに関連する投稿で本書が紹介されていた
当方のナポレオンに関する知識は高校レベルの世界史程度であり、缶詰の発明に関係しているとか、ベートーベンが曲を捧げたが取り下げたとか、死因に壁紙の着色料が関係していたとかいう説がある、程度の雑学をもつ。
軍事の天才であったことは知っていたが、ナポレオン法典というものの存在を知っていても、政治にも才能を持ち合わせていたことは気づかなかった。命じて作らせたものに自らの名を冠したんだろうくらいにしか思っていなかった。
ジョセフィーヌという伴侶については浪費家という情報しかなく、公私にわたりよきパートナーであったことは知らなかった。

ナポレオンの在り方、成したことを通して現代日本の男尊女卑を照応させる内容であり、主張するところの由来的是非を問う術を持たない者としては、いささかそれが鼻につき、内容について若干の不信感を抱かされてしまった。

本書はナポレオン法典の成立時期と日本の同時期と対照して、日本を落とす表現をしている。近頃読んだ別の本にはその日本は頃はパクス・トクガワーナであると語られており、また別の本では米の先物取引を開始してもいて、ただ落とされるだけの時期ではなかったと感じている。ただ一点、民法、特に男尊女卑という観点から当時のフランスの先進性を語っている。
その後、植民地を持った奴らなんですけどね。アメリカに泣きついてベトナム戦争やってもらった国なんですけどね。

当方の知識も非常に限られているが、別の分野、別の知識源から得た情報が、著者の恣意が情報を歪めているのではないかという疑念を抱かせる。面白い内容だったが、やや残念でもある。