でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』

――兵士たちはかつて、パリやローマのために命を落とした。ベルリン攻防戦では三十万人余のロシア人が死んだ。しかし、吹けば飛ぶようなもののためにこれほど長期にわたって戦ったことに米兵は困惑した。この戦争の特異な狂気を際立たせているように思えた。とはいえ、雲山は重要であったのだ。ここから延びる道路は約九十キロ先の密陽につづき、密陽からは釜山に至る。釜山からは敗戦に通じた。

上巻 P.390

 かれ(ダグラス・マッカーサー)に好意的な伝記の著者、クレイトン・ジェームスは「ナポレオン・ボナパルト朝鮮戦争前夜までのマッカーサーの経歴を調べたとしたら、マッカーサーは司令官となるための何よりも重要な試験に合格している、との結論を下しただろう。すなわちかれは運がよかったのである」と書いている。
 が、仁川の後、その幸運も尽きてしまう。

上巻 P.473

――逆境の効用は過小評価できない、とジーン・タカハシは感じた。

下巻 P.105

 中国軍が攻撃してきた夜、古参の戦車乗りサム・メースは靴を脱いでいた。このような地形では、靴を履いたままでいるか、脱いでいるかはつねに重大な決断だった。かれは上着を脱いで、ピストルを湿気から守るためにそれで包んだ。自分で作った寝袋に潜りこんだところだった。キルティングなどない携帯用寝具と軍隊毛布を組み合わせたもので、羽毛も安らぎも温かさもなかった。(メースは何年もあとになって、寝袋の中にいた米兵が殺された、という記述をみて激怒したことがある。「寝袋などなかった」というのである。)

下巻 P.119

――だが真の問題はもっと上の司令部にあって、その麻痺が下へ伝わってきているのだ。メースはそう確信した。そのときから生涯、マッカーサーを名前で呼ぶことはなくなった。手紙や戦友仲間の文章、あるいは会話でかれのことを言及しなければならない場合には「くそエゴイスト(ビッグ・エゴ)」と呼ぶことになった。

下巻 P.125

――かれ(ジョージ・キャレット・マーシャル)が手に入れたのは、さまざまなもののなかでももっとも稀有なもの、世のなかで探し出すのがとりわけ困難なもの、すなわち知恵にほかならなかった。

下巻 P.209

――第二次世界大戦中のかれ(マシュー・バンカー・リッジウェイ)の有能な副官、本人も空挺部隊の指揮官として名を馳せたジム・ギャヴィンはかつて、リッジウェイはいつも戦いの最前線に引き寄せられているようだった、と語ったことがある。「どんなときでもつねにそこにいた。火打石のように硬くて、猛烈そのもので、ほとんど歯ぎしりさえしているようだった。あまりにもすごいので、それが終わらないうちに心臓マヒでも起こすのではないかと思った。個人としての問題のように思われることもあった。すなわち、リッジウェイ対ドイツ国防軍という図式である。かれは道の真ん中で立ち小便をしたりした。『マット、やめろ。撃たれるぞ』と止めると、いやだ!といって、けんか腰になる。丸出しでもけんか腰だった。

下巻 P.234

――マイケイリスは朝鮮の前からリッジウェイを知っていたが、よく知っていたとはいえなかった。だが、マイケイリスは後に述べたところによると、リッジウェイのカブト虫のような激しい目つきに打たれた。リッジウェイは朝鮮に着任して数日後、かれを呼んだ。
「マイケイリス、戦車は何のためにあるのかね?」
「殺すためです」
「戦車で水原に行ってくれ」とリッジウェイはいった。
「分かりました。向こうへ行くのは簡単です。戻ってくるのはもっと難しいでしょう。相手[中国軍]はいつも後ろから道を塞いでしまいますから」
「だれが戻ってくるなどといった? 向こうで二十四時間持ちこたえれば、こちらから一個師団送る。その師団が二十四時間持ってくれれば、今度は軍団を送る」。リッジウェイが答えた。それはまったく新しい段階の始まり、転換の始まりだった。マイケイリスはそう感じた。中国指導部が気づかないうちに、朝鮮でまったく別の国連軍が形成されつつあった。

下巻 P.241

 どれほど利口な人間でも、最高の見せ場が終わっても舞台を去る潮時を知っているとは限らない。自己陶酔型の場合には、とくにそれが当てはまりそうだ。ダグラス・マッカーサーがそうだった。
マッカーサーが仁川のあとに退役していたとしたら、アメリカ中の町にかれの名を冠した学校ができていただろう。だがかれは、とどまればとどまるほど、発言すればするほど、自らを傷つけることになった」

下巻 P.414

――政治ゲームは初めてのアイゼンハワーを驚かせたのは、いくつかの主要問題をめぐって議会では与党よりも民主党から、より多くの支持と共鳴を得たことだった。アイゼンハワーは大統領就任から数週間後の日記に「共和党上院議員は、いまや自分たちはホワイトハウスに反対するために存在しているのではなく、ホワイトハウスと一緒のチームに属しているのだということがなかなか理解できない」と記した。(※アイゼンハワー共和党に所属していた)

下巻 P.423

マッカーサートルーマンアイゼンハワー

スターリン

毛沢東蒋介石

金日成

歴史の教科書ないし時事ニュース、その他諸々でその名を既知とはしていても、業績や評価などはロクに知らず過ごしてきた。それぞれに対する印象として共通しているのは、いずれも偉人のカテゴリに属するらしいというものだけだったが、それらは本書によって画期的に刷新された。

マッカーサーはダメな子。才能のほとんどすべてを浪費した。
印象は、ドグラ星の王子。この王子が、バカ=キ=エル・ドグラという名前を持つことを初めて知ったことは余談である。

スターリンは邪悪なゲームマスター。既知としていた印象がさらに深まった。
外見的に、ファンファンが激似。

毛沢東。偉大なる国家建設者だという印象しかなかった。
殷の紂王を好んだという。

金日成。典型的なナニ。
スネ夫

本書にて、リッジウェイ、彭徳懐という個人的に未知の歴史的人物を新たに知った。前者はマッカーサーの後任として連合軍の危機的状況を改善した。後者は毛沢東が信頼した武官で、中国による朝鮮介入時の軍司令官である。
リッジウェイは、著述によれば、軍人の鑑ともいうべき人物で、ブルース・ウィリスが激似。
彭徳懐は、リッジウェイと同様で、この人在りと思わせる人物。香川照之が激似。

湾岸戦争は、ゲーム感覚の戦争といわれた。
なにをかいわん、この言葉のさすところは、少なくとも、朝鮮戦争当時には現出していた。

満州事変以後、日本が辿った道を、アメリカは朝鮮戦争で辿った。
暴走する軍部、栄光に抑制を失う政府、隠される現実。

それをベトナムで繰り返した。
幾度も、今も、繰り返している。

そのありようはマグロかサメか。常に戦争とともに在り続ける国家の大義を、本書は穿ち抜いた。
膨大なインタビュー、資料にあたって、脱稿までに十年の歳月をかけた本書には望みすぎであるが、朝鮮戦争前段との対照を是非試みて欲しかった。存命であればいつかかなったかもしれないが、著者は脱稿直後に事故死したという。非常に残念なことだ。
後段に当たるベトナム戦争については著作があるので、いずれあたってみたい。

秋山瑞人の文章について、なにか起源はあるのだろうかとながらく探し求めていたが、ネオジャーナリズムとやらに属するらしい本書の同属、その訳書ら、あるいは本書の著者たるデイヴィッド・ハルバースタムがそうではないかという印象を得たことは余談である。