でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

Oblivion of first "The Lost Spires"

※"The Lost Spires"はOblivionの非公式クエスト、いわば同人シナリオというべきもので、本文は同シナリオ(=Module、略してMOD)に対する私的感想です。

MOD制作者がネタバレしない方向で頼むということなので、この大作を作り上げたことに敬意を表して、そうしないように感想を述べ奉る。
発表から時が経過していることだし、こういう評価があってもいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クソゲーwww

 

 

しかしながら、クライマックスまでは良ゲーだった。
オツカイ気味であり、戦闘バランス調整がナニだったとしても。

 

ゲームってなんだろう。
久々に考えさせられてしまった。

電源要では、一部の超人が神の領域を競うことを至高とした時代があった。ゲームのジャンルによってはそれはアリだろうし、なければつまらなかろうが、その筆頭たるシューティングゲームですら潮流が変わったらしいことは耳にしており、超人市場ではやっていけないという現実は覆せないのだろう。
ゲームメーカーが製品の謳い文句に「やさしい」を喧伝したものとして記憶に残るのは、Falcomの『イース』である。いまの基準からすればそれでもずいぶんとマゾいが、がんばればまあ、やさしいだろうか。あまりやさしくないかもしれない。
ゲームはあまり数をこなさないのであくまで個人的なごく狭い範囲の経験ということになるが、任天堂はその辺わりと意固地なイメージであり、それはゼルダに特化したものかもしれないが、『時のオカリナ』までは、ゲームは難しいもんだ、あるいは、ゲームは学習だ、あるいは、ゲームは達成感だ、というようなスタンスを固守していたように思う。『風のタクト』は、そういう意味では期待を裏切られた印象である。個人的にゼルダは、ある程度覚悟を決めないとトライできないタイトルだったから、お使い感だけそのままで、難易度は高すぎず、ストーリーも長すぎはしなかった同タイトルに「あれ、こんなもんか」という肩透かしを感じるを禁じ得なかった。

電源不要ではどうだろう。
TRPGでいうなら「俺シナリオ」に類する冠詞を評されたマスタリングは、大方においてプレイヤーに不服を抱かせるものであったと思う。NPCサイキョー、シナリオはご都合主義、アイテムマンセー、そういうものだ。TRPGは勝ち負けを競うものではないが、マスターの独りよがりは得てして、マスターの勝ち気がもたらすものなのかもしれない。
Mt:Gは資本が火力であり、勝負の次元を変えてしまった。アイテム課金と同様、満足に至る過程がゲームの枠を超えているように思われる。

オブリビオンというゲームは、これらの反省ないしは経験に基づいた、「やさしい」ゲームであると認識している。クエストマーカーという仕組しかり、レベルに応じたバランス調整しかり、否定する材料は見つからない。
それをあえて逸脱した理由はわからない。MOD製作者の間では「14へ行け」を実装することは必須と考えられているのだろうか。

 

さておき、これだけの大作を作り上げた労力に対する敬意はいささかも失われるものではない。
ゲームデザイナーがストーリーテラーであることは希であることをただ確認したのみである。

追記:
非常に有用な非武装アイテムが実装されているので、そのためだけにプレイする価値はあるかも。