でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『この世でいちばん大事な「カネ」の話 』

十二三年前のこと、もし子供を育てるようなことがあれば、コスト意識を育くもうと思った。

ランドがなければマナは出ず、マナがなければファイアーボールすら撃てない。
マナがあれば小コストでもずっと俺のターンが実現できるが、それを成しとげるためには枠組み外のコストが発生する。
枠組み外で30万円投資したものは枠組み外で3万円投資したものよりも枠組み内で勝率に勝るが、それってど~なの?
ということではない。

さておき。
「カネの勘定の仕方を教えよう」ということなのだが、本書でも謳われているように、そのように高らかに宣言するのはいささかはしたないという思いが当時はあった。
今もそれを完全に拭い得ないのは、幼時、確かにどこかで、カネにあからさまな関心を抱くことは恥ずべきことだと教えられたことを漠然と覚えていて、それが当方にうまく伝わってこなかっただけで、本質は述べられていたのかもしれないと思いつつ、言葉の字面通りにうけとめていたことを未だに引きずっているということなのかもしれない。

社会に出て意外に感じたことの一つに、一般的な「社会人」のコスト意識の欠落がある。
会社を興そうという人物に対しても、少ない例ながら、「お前それで大丈夫なの?」と、さしたる意識を持つわけではなかった我が身をして、そう思わせられた。
二十歳の頃、そのような感覚を十分にもちえていたならばという、個人的な思いもある。

数年前、誰かに言われたことがある。
「カネの力を認めてはいるが、カネが嫌いだろう?」
宗教めいた観じ方においては是、である。