でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『ドラゴンランス秘史 青きドラゴン女卿の竜』

TRPGには、大別してプレイヤーキャラクター(PC)とノン・プレイヤーキャラクター(NPC)が登場する。まず例外はない(モンスターはNPCとして扱う)。NPCには、通行人Aもいれば大ボスもいる。印象に残る通行人Aもいれば、キオクに残らない大ボスもいる。雑魚から格上げになって常連となるNPCもあるだろう。
さておき、ゲームマスター的には、プレイヤーのトラウマになるようなNPCを出せれば本懐を遂げたといえることは間違いない。

手前ミソだが、関わったプレイヤー全員に等しい感情を抱かせたNPCを作り出したことがある。
PCに比べれば強力だが、強力すぎるということはなく、しかもその能力をほとんど使わずしてPCを圧倒した。ゲームマスターなのだから局面をある程度強制することは可能であり、造作もないというほどたやすいことではないが圧倒することも不可能ではない。豪腕をふるえば話は早いが、そうすると、たいていしらける。サマルトリアの王子イベントといえば通りがよいだろうか。
そうせずに、またそうと受け止められず、そのNPCの狡猾さ、エグさと認識させることはけっこう難しい。サマルトリアの王子の性格と受け止めるか、ゲームデザイナーうぜ~と受け止めるかというハナシである。
難易度の高いミッションだが、ゲームマスター側の楽しみの一つであることは間違いない。

余談ではあるが、そのNPCを含む、我が被創造物のうち印象に残るNPCのうち二人の魔法使いは、高校生の時に描いた中二病的な落書から生まれた。人前に出すために削り落とし、研ぎ澄ましたわけではある。そのまま出していたら、きっと秘匿したい過去となったに違いない。

そのNPCを創造したとき、フェアル=サスという魔術師は既知ではなかった。だから、そのNPCの誕生に影響を与えたものがあるとしたら萩原一至しかないわけだが、完成品にそうとわかる残滓はない。



フェアル=サス。
エルフの魔法使い。登場したときには既に死んでいた。

それが第一印象である。それ以上でもそれ以下でもないままに二十年が過ぎ、これを改める機会が訪れたことは望外のことであった。もし、前述のNPCを使おうと思ったときにこの魔法使いのことを既知としていたなら、大いに影響を受けたであろう。そうと思えるくらいにエグい。
<大変動>と呼ばれる災害を生き延びた三百歳を超えるエルフ。魔法の力に加え、とある特殊能力を有する彼は、第三部佳境のDIOを髣髴とさせる不気味さをたたえている。
その死に様には言いたいことはいっぱいあったが、能力値データ(STR:18/35 INT:13 WIS:11 DEX:17 CON:10 CHR:8)を見たらなんか納得してしまった。

本書はキティアラを描いたものである。だから、並び立つキャラクターたちも並ではいられない。フェアル=サスはその一人に過ぎない。
キティアラは武人として、戦略家として優れたる旨、既刊中にも描写があった。
劇的な登場シーンでは、かつての戦友にして、後に分かることだが情を交し合った相手を自らの手にかけた。アンデッドの騎士を配下にもち、力で君臨する皇帝に対し一歩も引かない剛勇をみせた。この頃から英雄色を好む様をみせ、『~戦記』クライマックスにはなんだかよくわからない女になってしまったが、『~伝説』でも重要な役割を果たしたさまは、その間抜けさと共に読者の記憶に深く刻まれたことだろう。
今回、新たにその器の非凡なるさまが描写されている。フィスタンダンティラスの将軍の姉、あるいは青い女卿の弟と並び称されるにふさわしく。


ソス卿。
当初、腐肉と骨のアンデッド騎士として描写されたこのキャラクターに、バケツ型のヘルメットをかぶせたのはキース=パーキンソンだったか。この優れたデザインは明らかにナズグルのオマージュであるがそんなことはどうでもよく、我が人生に大きな影響を与えたことは間違いない。『ドラゴンランス ファインアート』に記載された『ソス卿の進軍』に受けた衝撃は尋常ではない。

レイストリンとともに著者の愛を注入された筆舌に尽くしがたい魅力を持つキャラクターだが、本書で新たに、女神タキシスを袖にする男でもあるということが明らかとなった。
この騎士の強力な力はタキシスの与えたものということが今回明らかとなったが、それはおそらく、神々に背を向け続ける男の矜持に惚れこんだためであろうと読み取れる。『夏の炎の竜』以降、どうもタキシスはデレっぽい。

『~戦記』でも語られていることだが、女神の求めに対し、ソス卿が統べる恐怖の城で一夜を明かすことができる剛の者に仕えるという条件を提示した。それに応じたものがキティアラだったわけだが、それに至る経緯はこれまで語られることはなかった。
本書ではそのエピソードが記されている。読前は興味のあるエピソードであったが、読後においてはいささか知りたくなかったエピソードとなってしまったことはさておき、本書冒頭のシーンはランスファンには必読であろう。

アンチヒーロー、しかしヒーロー。そんな風に、キティアラの初期設定はなされたに違いない。しかし、それは主役を食うほどに強力な立ち位置であることが、プロジェクト開始後になってわかったに違いない。アンチヒーローはかくしてヒールとなった。そういう個人的妄想がある。
だからこそか、著者はキティアラというキャラクターを愛すると同時に嫌ってもいるようで、いささかランスの英雄たちを美化しすぎるきらいが見受けらる傍ら、キティアラを間抜けな目に合わせることにも余念がない。もっともワリを食ったキャラであろう。
それでもなお、本書におけるキティアラの武勇には一見の価値がある。長すぎた時の間隙に、著者らが自ら記した記述を忘れてしまっているように見えたとしても。


いまさらだが、この物語は幾つものアンチテーゼを含んでいる。
TSR的一般常識からすると、いわゆる魔法的なものは「神の奇跡」と「魔術の技」に大別される。僧侶は信仰する神に祈願して奇跡という魔法を行い、魔術師はその世界では技芸の一つと認識されている技術を行使して魔法をなす。これは多くのTRPGに踏襲され、CRPGにも受け継がれている。
クリンの世界ではいわゆる魔術師の魔法も神の与えたもうた技であり、その力の起源を否応なく理解する魔術師たちは、強制されることなく理知的に神々を信仰するに至る。<大変動>後、失われた神への信仰を失わなかったのは僧侶ではなく魔術師たちだけであったのもむべなるかな。今回、図書館の文人たちも信仰を失わなかったと明らかになったが、信仰というものにたいするアイロニーが、この物語には散りばめられている。

信仰といえば、『~戦記』ではいまひとつぱっとせず、その重要性に比してちんまりと描かれていたエリスタン。『~伝説』では、「あ、そうなの?」的に大物になっていた。
ともあれ彼は、本書において大活躍する。エリスタンファイヤーを使い、エリスタンビームを放つ。それらの大技とともに、さまざまな小技が顕現する描写も面白い。



読書禁止月間だったのに、禁を破ってしまった。凶兆だ。