でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

中央アジア・蒙古旅行記

 さて、わたしは上述の司祭たち(私注:仏教徒と思われる)のそばにすわってからーーそれは、寺院の内部へ入って大小さまざま、沢山の偶像を見たあとのことでしたーー神についてかれらがどういう信仰を抱いているかをたずねました。すると、

 われわれは、ただ御一体の神しかおられないと信ずる。

という返事でした。それで、

 お前たちの信ずるところでは、神は一つの霊なのか、それとも何かからだを持ったものなのか?

と問いますと、

 われわれは、神は一つの例であると信ずる。

と答えました。わたしが、

 神がかつて、人間性を執ったことがあると信ずるか?

とききますと、

 いや、信じない。

と返事しました。そこでわたしはたずねました。

 神はただ御一体で、しかも一つの霊であられると信じているなら、何故お前たちは、神にかたどって、からだをそなえた像をつくるのか? また、何故、そんなに沢山つくるのか? さらにその上、神がかつて人間となったことを信じていないなら、何故神にかたどって、ほかの生きものではなく、人間のかたちをした像をつくるのか?

これにたいするかれらの返事はこうでした。

 われわれはこれらの像を、神にかたどってこしらえるのではない。われわれのうち誰か富裕なものが死ぬと、その息子か妻、または誰かそれに親しいものがその死者の像をつくらせて、ここに安置し、われわれがそれを、その死者の追憶のために崇敬するのだ。

この答えに、わたしはこうききかえしました。

 それならお前たちは、こういうことを、ただ人間をうれしがらせるためだけにするのか?

かれらはこれに、

 いやそうではない。人々の追憶のためにするのだ。

と返事しました。

P.238

 

 それから、ウィリアム親方が大病にかかるという事態が起こりました。快方にむかいつつあるときに、例の修道僧が見舞いに行って大黄をすこし飲ませ、そのため親方をあやうく殺してしまうところでした。わたしが見舞いに行くと、容態が大変悪いようなので、何を飲み食いしていたのだ、とたずねました。すると、修道僧が飲物を分けてくれたので、聖水だと思い込んで鉢に二杯飲んだ、と答えました。早速わたしは修道僧のところへ出向いて、こう言いました。

 使途のように、祈りと、聖霊との力によって本当に奇蹟を行おうとつとめよ。さもなければ、医学の知識にもとづいて、一人の医師として振る舞え。お前は強い薬を盛って、そんなものは予期もしていない人たちに、まるで何か聖なるもののようにして飲ませている。これがみなに知れわたったら、それこそ、これ以上考えらあれぬほどの物議をかもし、お前の面目はまるつぶれだぞ。

P.306

 かつて、ローマの技術や文化的要素はその滅亡後、ヨーロッパにというよりはむしろアラビアが後継者的立場にあったとなにかで読んだ。むしろヨーロッパは、アラビアからそのいくばくかを輸入する立場であったと。

ではなぜ、アラビアは台頭しえなかったのか。なんとなく、モンゴルのせいかなと思っていたが、本書によると、まさしくそうで、考えていたよりもはるかにひどく叩きのめされていて、それどころではなかった様子がうかがえる。

英米のファンタジー的な作品でモンゴルをモチーフにした風物が登場するとき、なんというか、ひどい恐れようが伝わってくる。そんなに!?というのは、神風でなんとなく被害を避けられた国の末だから抱ける感想なのだろう。AD&Dのエキスパンションだかなんだかの表紙絵でも、モンゴルモチーフのやつはゴッドハンドの使徒みたいだったしな。
トールキン教授の作品における東夷というのはまさに、中世ヨーロッパにおけるモンゴル的な存在であるのだろう。

日本ではキリスト教ははじめ受け入れ、その後、禁じた。
その理由について、本書からうかがえることは、キリスト教の伝道師は布教もするが、本国や主たる筋に報告も送る、ということだ。禁じた君主たちは、それをよく理解していたに違いない。
信長の比叡山焼き討ちについてはまず宗教や文化の破壊として知ったが、のちに敵対勢力が立てこもった。比叡山は立てこもった側に協力的であったということを知れば、宗教や文化とは無縁に、単純に勢力争いの果てのことであると理解できる。

一面のみの伝道というのは何も、昨今盛んなように、報道だけの得意技ではないということか。