でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

「色のふしぎ」と不思議な社会

医療に限らず、学問とはすべて発展途上、言葉が悪ければ漸次進歩するものであり、学識とはその刹那において最新のものでしかない。
個人的な体験としては、ある薬の副作用と思われる症状でふくらはぎがめっぽうかゆくなった。患部を見ると皮下で炎症を起こしているように見える。それを告げ、患部を見せても医師は笑って折り合わず、他の医師に相談して、そういう症例が稀にあることを知った。セカンドオピニオンの医師も相談時にはそれを知らず、医学事典?のようなものを目の前で引いてくれて、その類例を見せてくれた。つまり学識とは、刹那において、さらに当事者が知識として有していれば幸いなものでしかない。

本書の一章は、著者の個人的体験を基にした恨み節がヒステリックな調子で記されている。色盲という言葉を初めて知ったのは小学生の頃で、字面から「色が見えないの?」という印象を抱き、あれこれ尋ねて「区別がつかない色がある」と得心した覚えがある。当事者が身近にいたかどうかは覚えていない。当事者に尋ねていたとしたら、それは残酷なことだったのかと、著者の体験から思う。
狙ったものかどうか不明だが、そのような文章は読んでいてつらい。身につまされるという理由ではなく、他者の恨み節はどのようなものであれ、好まない。ネガティブな感情が転写されることを嫌うのだと思う。

章を経るに従ってそれは減ずるので、大概においては良書と思える。参考文献も多く記されているし、あちこちに出向いてインタビューやディスカッションを行った経緯も見て取れる。それにより、著者が視覚の多様性という気付きを得て、冷静さを取り戻した観がある。

学問が進み、生活が豊かになって、マイノリティーを許容できる社会になった。しかし、学問の更新が遅れているために、それが行き届いていない。
「先生と呼ばれるようになると人間ロクなことにならない」とは、ずいぶんと昔に聞いた言葉だが、医療技術者と武術の指導者には当てはまると個人的経験から思う。
実るほどに頭を垂れと行きたいものだ。