でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

かくしてモスクワの夜はつくられ ジャズはトルコにもたらされた

 革命を契機とする国の変革が、無視無欲の平和的なものになるはずがなかった。レーニンいわく、あらたに権力の座についたプロレタリアートの使命は「盗人から盗め」だった。農民と労働者はこの言葉を額面通りに受けとり、都市でも農村でも、裕福な家や地所、企業、教会は一斉に没収され略奪されはじめた。国が行う接収と武装集団の強奪は区別がつかなかった。

P.195

 連合軍はトルコに居座るつもりでやって来た。広大なオスマン帝国を切り分ける合意はすでについており、トルコ人にはアナトリア高原の中心部だけを残し、鉱物と石油が豊富な領土は、誰がどこに住んでいるかはお構いなしに地図に線を引いて分割する予定だった。その影響は今日のイラクアラビア半島にまでおよび、このときの決定の結果はいまも国際社会で受け入れられている。

P.211

――一九二〇年四月、トルコ大国民議会によってすでに大統領に選出されていたケマルは、サカリヤ川の戦いでの勝利によって陸軍元帥に昇進し「ガーズィ」の称号を与えられた。「ガーズィ」とは、オスマン帝国の時代にさかのぼる名誉の称号で「異教徒と戦う戦士」という意味である。

P.249

 だが、コンスタンティノープルに存在したありとあらゆる娯楽のなかで最も奇妙奇天烈だったのは、ロシア人が発明した「ゴキブリレース」だろう。一九二一年四月、市内に賭場が広がるのを防止するために、連合軍当局は、ロシアの難民がペラのいたるところではじめた賭けゲーム「ロト」を禁止した。そこで、何かほかに飯の種になるものはないかあれこれ試したあとで、チャレンジ精神旺盛な何人かが、どこにでもいる昆虫を使ってレースをするのはどうかと思いついた。許可を求められたイギリス警察のトップは「真のスポーツマン」だったので、一も二もなくこれを承認した。明るく照らされた広いホールの中央に巨大なテーブルが据えられ、低い壁で仕切られたコースが卓上を覆った。「カファロドローム」(「カファール」はゴキブリという意味のフランス語)のオープンを知らせるポスターが地区全体に貼りだされると、客が押し寄せてきた。熱を帯びた目をぎらぎら輝かせる男たちも頬を真っ赤にした女たちも、テーブルを囲む全員が、黒光りする巨大なゴキブリを見て立ちすくんだ。ゴキブリにはそれぞれ名前があった。「ミシェル」「メチター(夢)」「トロツキー」「プラシャーイ(さらば)」「リュリュ」。レースの開始を告げる鐘が鳴ると、煙草の箱の「厩舎」から放たれたゴキブリたちが、針金製の小さな二輪車を引っ張って猛然と駆けだした。まばゆい光に仰天してその場に凍りつき、不安そうに触角を震わせて、応援する観客をがっかりさせるものもいた。ゴールにたどり着いたゴキブリのご褒美は干からびたケーキのかけらだった。パリ・ミュチュエル方式による配当が一〇〇トルコポンド(今日の貨幣価値に換算すると数千ドル)に達することもあった。最初のカファロドロームが大当たりすると、ペラとガラタのいたるところにライバルの「レース場」が出現し、噂はスタンブールやスクタリにまで広がった。ゴキブリレースを考えた者のなかにはたちまち大金持ちになり、パリで人生をやり直そうと考える者も現れた。金があれば偽造パスポートが買えた。だから、持ち運べる資産があって、連合軍警察に顔が知られていなければ、船に乗って逃げ出すことができたのだ。

P.266

 

 

この頃、本を読むにつけ思うことは、トミノ監督は中東付近の事物から名称を取得することがあるらしいということだ。ナカツ氏はヨーロッパ大陸側の地名を好んでいるらしいということも。

本書については大きく二点、感想がある。

ひとつは、面白いということ。興味深いということ。先進的であるとされてきた欧米諸国の差別構造について、こんな対照が記されている。アメリカでは南部出身の黒人に、ヨーロッパでは黒人であることで差別は受けないが、イギリスではインド人が、大陸ではユダヤ人であることが差別の対象となる。トルコではイスラム教徒かそうでないかだけが重要だった。

もうひとつは、タイトル詐欺であるということ。本書のタイトルから想起されるのは、先駆的出来事、人物である。後半はまあ良しとして、前半はいいすぎ。
アメリカ南部出身の黒人、両親の努力によって極貧ではない幼少時代を送り、その後、白人に騙されて資産を失い一家は離散に近い状態となり、本書の主人公であるフレデリックアメリカ各地を転々とし、ヨーロッパに渡った。フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアを経てロシアへ。仕事は給仕、ロシアに至る頃はフロア責任者的立場を任される手腕を身に着けていた。
ロシアにはすでに「夜」があったが、フレデリックは身に着けた手腕で先人たちの間に割り込み、名うての店を作り上げ、第一人者となる。だが、「夜をつくった」印象ではない。東京にも夜はあったが、ジュリアナが登場して有名になった、そんな印象だ。
フレデリックの数奇な流転の人生を読者として楽しむことができるとしても、邦題が瑕疵を与えていることは否めない。