でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『エコノミストは信用できるか』

『経済のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ』をまず読むべし級の読み手が読んでしまったでござるの巻。

経済学者というものは気象予報士、あるいは占い師、ないしは信仰者のようなものだと漠然と考えていた。即効性を求められるといったらこの上ないことであるのに、答のない答を求められて自信満々に自説を無責任に力説できるところが、ということになろう。

どんなところにも、声だけでかくて無能とか、論理的に破綻してるけど保身にだけ長けてるとか、そんな人物はいる。間違いを認めて大人しくしているならまだしも、知らぬ顔で陣替えして古参のような顔をしていられるとか、他者から言い聞かされたことを自分で思いついたように振る舞うとか、勘弁願いたい。

本書は、著名っぽい経済学者たちの主張の一貫性について論じている。

終章『エコノミストの採点表』だけ見ればコト足りるというような具合だが、それを裏付けるための資料として前段が用いられている。他の経済学者たちに対する評に比べて追随を許さない、竹中平蔵に対する酷評が印象的だった。

経済学者に対する個人的印象はおおむね変わりないが、山師、予想屋、腰巾着、テツガク者といった輩もいるらしい、というような若干の変更が生じたことになる。

本書発行時点の経済学は、従来の経済理論では賄えなくなったから心理学を導入しだしたという。世事に疎い我が身でもどこかで聞いたことのあるコトバ、消費者の期待、というヤツだ。

政治や公務員にはありがちなことで、最近では検察や裁判官もそうであるらしいといわれているようだが、専門家すぎて現場のことというか実態を理解していないという。ボトムアップが民主主義の姿であるはずだが、偉くなりすぎたためか、無関心がすぎるためか、いつしかトップダウンが当たり前の風潮になってしまった。きっとみんな忙しすぎるんだろう。

まつりごとに参加する人はすべて、まずは一般的な社会人経験を最低二十年経験する必要があるんじゃなかろうかと思うようになったのはいつの頃だったろう。

心理歴史学というものを体感したのは『超人ロック』のライガー博士が唱えた論からだが、言葉で知ったのはアシモフの『銀河帝国の興亡』からである。

いずれGA無双で一世を風靡するようなエコノミストも登場するかもしれない。