でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

無縁・公界・楽

本書のタイトルのような概念と初めて接したのはおそらく白土三平作品においてであり、無意識のうちのことであった。1990年頃、『花の慶次』をきっかけに隆慶一郎作品に耽溺したとき、道々の輩と表現されるような概念と出会った。その頃なにか読んだり調べたりしたようにも思うのだが、記憶にない。

『経済学はどのように世界を歪めたのか』に本書のタイトルが引用されており、そうさせる因果に興味を覚えたのだが、本書の内容のごく一部、まさに「周縁と市場」に関する短い論考にのみ関連があり、興味を覚えて軽い気持ちで読めるものではなかった。

本書は、昭和の子供ならあるいはコモンセンスであったかもしれない「えんがちょ」からはじまり、縁切り、駆け込みへと論を並べていく。導入はわかりやすい。
身につけていたもの、例えば草履などをそこに投げ込めば、縁切り、駆け込みの庇護下に置かれた例もあるという。アジール(=聖域)の庇護下に置かれたものは、世俗のルールからは切り離される。一見して子供の遊びに似たルールが中世日本で通用した背景を、当時の資料から推測していく。このあたりがキツい。研究の背景にある通念を理解している前提の論であるので、その辺に無知な輩の頭には容易に入ってこない。

限られた歴史資料から考察するという行為はおそらく非常に難易度が高いのであろう。まとめの段に入って著名哲学者の論に依拠せざるを得なかった姿勢には、ふーんそうなんだ?という感想しか抱けなかった。本書の立場が発表当時どうだったのか知らないが、なんらかの嚆矢だったとしても、試論にすぎないという印象である。