でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『ダーク・ソード』

従うことは生きることなり。生きることは従うことなり[オペーディレ・エスト・ヴィヴェーレ ヴィヴェーレ・エスト・オペディーレ]

第一巻 P.242

 一瞬サリオンを見つめて、ジャコビアスは眉根を寄せた.椅子の中で身じろぎし、落ち着かなげな様子だ。「え――これから言おうとするようなことは、わたしの柄ではないのだが、ファザー。あなたの神とわたしは、かなり長いあいだ、互いに求めることをせずに来ている。わたしは神を身近に感じたことがないし、神のほうも同様で、こういう状態を神もお望みなのだろうと思います。少なくとも、ファザー・トルバンはそう考えているようだ。でも、あなたはちがう、ファザー。あなたがおっしゃることを聞いていて、わたしは考えるようになったのです。あなたが、わたしたちはアルミンの御手にあるとおっしゃるとき、『わたしたち』の中には、あなたや大僧正だけではなく、わたしも含まれていると、信じられそうな気がするのです」

第一巻 P.289

――「フォントの廊下では、よくアルミン神がおられるのを感じたものだ。このかなたの地ではそうではない。神はここには住んではおられないような気がする」

 モシアには理解できなかったが、話の糸口をとらえて口を開いた。「父も、ときどきそのようなことを申しておりました。アルミンは金持ちと食事なさって、貧乏人には残り物を投げてくださる。神はぼくらのことを心にかけてはくださらないのだから、ぼくらは人生を自分自身の尊厳と誠実さで生き抜かなくてはならない。これが死ぬときにぼくらがあとに残すもっとも大事なものなんだって」

「ジャコビアスは賢明な人物だ」サリオンは、モシアをじっと見つめて言った。「わたしは彼を知っている。きみはモシアだな、そうだろう?」

第二巻 P.127

 だが――世界を破壊する≪予言≫だって? 人間はどんな時代も、世界の破滅を説く予言の一つや二つは語り伝えた。どんなふうにこの≪予言≫がでてきたのか、修道僧は知らない。だが、推測はつく。一年間昆虫と蜂蜜で生きながらえた老人か誰かが、幻覚を見て、世界の終末を予知したのだろう。なにもかも便秘のせいだったのかもしれない。

第四巻 P.287

記憶に強く残っていたのは、シムキンと、モシアが大流行したことだけだった。

しかも、実際に記されていることが、記憶に残っていることとはまるで異なる。

初読のときからなんというgdgdな物語なんだろうと感じていて、確かに好きな作品ではなかったが、こうも覚えていないものだとは、あるいはまるで違う印象を残しているとは、我ながら衝撃的なことではある。シムキンの最期などは覚え違いもはなはだしい。

それでも幾度かは読んでいるはずだが、ほぼ二十年ぶりに再読して、全体としてはやっぱりgdgdだったが、細部は好きであることを確認した。新たな発見としては、年齢が近くなってしまったファザー・サリオンには親近感めいたものを抱いてしまったことがあげられる。

第六巻のあとがきでは、小説に続いてTRPGのルールブックである『ダークソード・アドベンチャー』の刊行が予定されているとあるが、これは現在に至るも実現していない。単に売れなかっただけかもしれないが、バブリーな頃の出版物であるだけに、いろいろと事情があるのだろう。

再読を起因としていろいろ調べたら、小説も続編があることがわかり、当然のごとく未訳なわけなのだが、『ダークソード・アドベンチャー』とあわせて入手してみることにした。調子こいて未読な原著が積読となっているのに、まったく懲りていないことになる。

Civ4を経験した後、シムキンのビジュアルが、ポルトガルの指導者ジョアン二世とかぶってしまうようになったことは余談である。