でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『反転―闇社会の守護神と呼ばれて』

東京地検特捜部の検事は、捜査結果から事件の「ストーリー」を作る。
概ねそれは上司の好みが反映されることになり、その意味でリテイクが繰り返される。学士論文を作成した経験があれば、「教授の指導」を思い浮かべればよかろうか。
承認されると、「ストーリー」通りの調書を取ることになる。事実を「ストーリー」に合わせるように。

著者によると、そんなふうらしい。大阪地検はそうではなかったらしい。
ここでいう「ストーリー」とは、「事実の積み重ねから浮かび上がる概略と、不明な点を想像で補完したもの」であり、我が身のような凡俗の身からすれば、事実が明らかになれば「ストーリー」は修正されてしかるべきだと考えるのだが、エラい人はそうではないらしい。承認した「ストーリー」は覆されることはないという。
犯罪者は嘘をつくものとしているからか。検事が引き出した証言は信じるに足らないということか。著者が記すような「役人根性」のみならずという印象もあるが、いずれにせよ、慣習的なことであろう。

著者の前半生たる検事時代の、そんなエピソードがまず語られ、後半生たる弁護士時代の末期、当人が無自覚な犯罪によって起訴され、かつての同僚たちに追い込まれていくさまが描かれている。
説得力があるととらえるべきか、恣意的ととらえるべきか。

許永中 日本の闇を背負い続けた男』の森功が編集協力しており、構成などになるほどと思える部分がある。インタビューを元に小説のようにシーンを描く手法はジャーナリストには基本スキルとなるのだろうか。著者の場合はインタビューではなく実経験を元にしているが、その手法を巧みに取り入れている。
著者は文筆家ではないはずだが、文章はこなれている。前半生のストーリー作成スキルの賜物であろうか。

総括すると、カネにきれいもきたないもない、とも読める。
面白い本ではあるが、一昔前の格闘家の自伝的なナニが感じられる。正直ととるべきか、品がないととるべきか。