でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

スクエア・アンド・タワー

危険な野心は、政府の堅固さと効率を求める熱意の近寄り難い外見の下よりも、人民の権利を求める熱意のもっともらしい仮面の陰に隠れていることのほうが多いものだ。後者は前者よりも、専制政治の導入への、はるかに確実な道であると判明していること、そして、共和国の自由を覆した人々のうち、卑屈に人民のご機嫌を取って自らの経歴を歩みはじめた人がじつに多いことを、歴史は繰り返し教えてくれる。彼らは扇動政治家として出発し、ついには専制的支配者となるのだ。

 彼は1795年に、このテーマに戻っている。「国々の歴史をひもとくだけで見て取れるとおり、どの時代にもどの国も、不埒な野心に駆り立てられて、自分の栄達と重要性の増進に資するだろうと考えることなら何ひとつためらわない人間の存在に苦しめられる……共和国の中で、どこに置かれたものであれ偶像(権力)を依然として崇拝」し、人民の「弱点や悪徳、短所、偏見を利用し、こびへつらう扇動政治家、あるいは無法な扇動政治家の存在に」。

上巻 P.209

 ジョン・バカンの小説『三十九階段』(小西宏訳、創元推理文庫、1989年、他)では、「黒い石」という邪悪な組織が、「動員令下のイギリス本国防衛艦隊の配置」についてのイギリスの計画を探り出そうと画策する。(メモ:続編『緑のマント』)

上巻 P.270

 キッシンジャーは1950年代と60年代を通して、各大統領が「官僚に既成事実を突きつけられ、それを承認することも変更することも可能であるものの、そうした既成事実からは代案についての真剣な考察が排除されている」傾向を指弾した。「国内構造と外交政策」と題した1966年の論説では、政府官僚が「問題の関連諸要素を月並みな作業基準に落とし込もうと周到な努力をしている」と述べた。そのような行為は、「[官僚が]定石と定義しているやり方では課題の最も肝要な範囲に対処できない場合や、所定の行動様式が当該問題に不適切であると判明した」場合、厄介な問題となる。それに加えて、部門間の「官僚組織内の競争」が決定に至る唯一の手段となったり、官僚機構のさまざまな要素によって「一連の相互不可侵協定」が形成されて、「意思決定者が慈悲深い立憲君主に落ちぶれた」りする傾向もあった。外交政策にまつわる大統領演説に関して多くの人々が理解していないのは、そうした演説がたいてい「ワシントンにおける内部論争の解決」を意図したものであるという事実だと、キッシンジャーは主張した。
 彼は国家安全保障担当大統領補佐官の職を提示されるわずか数か月前の1968年春には、「アメリカの外交政策などというもの」は存在しないとまで言っている。「何らかの結果をもたらした一連の措置」が存在するだけで、その結果は「事前に計画されていたものではなかったかもしれず」、それに対して「国内外の研究機関や情報機関は、そもそも存在していない……合理性や一貫性を懸命に与えようとしているのだ」という。

下巻 P.146

 複雑さは安くない。それどころか恐ろしく高くつく。行政国家は、公共の「財」の量を増しながらもそれに見合った増税をしないという課題の、安直な解決法を見つけた。政府の現在の消費を借金によって賄うのだ。同時に、オバマ政権は連邦債務をほとんど倍増させる一方で、監督権限を行使して新たな方法で資金を調達した。例を挙げると、銀行の低投融資慣行の調査の「調停」で1000億ドル以上、ブリティッシュ・ペトロリアム社の「ディープ・ホライゾン」原油流出事故の賠償計画から2000億ドルを調達した(オバマ政権は政治上の盟友のために、ゼネラルモーターズクライスラーの「管理された経営破綻」にも介入した)。
 とはいえ、行政国家のこうしたご都合主義の処置はみな、民間部門に負担を強いて、けっきょくは成長率や雇用創出を低下させてしまう。財政の世代間格差、規制の爆発的増加、法の支配の劣化、教育機関の弱体化が合わさると、景気動向と(これから見ていくように)社会的結束の両方の「大衰退」を引き起こす。要するに、行政国家は政治的階層性が破綻に向かう悪循環の表れであり、規制を噴出し、複雑さを生み出し、繁栄と安定の両方を蝕むシステムなのだ。

下巻 P.254

 

 アントニオ・ガルシア・マルティネスはこう言っている。「シリコンヴァレーは実力主義だなどと言っているのは、思いがけない出来事を通してか、特権集団の仲間であることの恩恵を受けてか、裏で不正きわまりない行為をするかして、実力とは無関係な手段で大儲けした人間だ」。つまり、このグローバルなソーシャルネットワークは、それ自体がシリコンヴァレーのインサイダーの独占的ネットワークに所有されているのだ。

下巻 P.268

 

 

 

 

書影を見て知っていたはずだが、手に取って厚さに驚いた。超京極級。およそ400p。
開いて驚いた。情報密度の低さに。倍に詰め込んで500pで一冊かなとか思う。
バブル期とハリー・ポッターを経て出版社はこういう商売がデフォルトになってしまっている。本が出ることを有難いと思いつつ、それでもナニカを想うを禁じ得ない。

はしがきと第一部はとっちらかっていて、まとまっていない内容をごまかすために著者が誇ってやまない自らの知識量で煙に巻くタイプのスタンド使いかと思ったが、主張の方向性が示されるにつれて面白くなった。
上巻のサブタイトルは「ネットワークが創り替えた世界」だが、「ネットワーク」とはかつて「コネクション」と呼ばれたもので、人々のつながりを指す。その集中度と情報伝達の速度を軸に、歴史を解釈しなおす。イルミナティロスチャイルドを盛り込んで興味を掻き立てられる一方、欧米の歴史に詳しくない者としては勉強不足を痛感させられた。

結論に至るまでのあいだは、間違いなく楽しめた。結論がまた序文と同様の風合いをもって、とっちらかっている。
著者紹介を見るまで気づかなかったのだが『大英帝国の歴史』の著者であった。なるほど、それなら頷ける。ダブルスタンダードの極みというやつだ。
上巻の冒頭でイルミナティロスチャイルドにまつわる陰謀論を一蹴し、それらが構築し得たネットワークについて語ることで同勢力の隆盛と限界を語った。その一方で、下巻ではザッカーバーグとトランプを槍玉にあげている。陰謀論を否定した一方で、陰謀論ともとれる言葉を吐いている。

歴史の眺め方として新たな視点をもたらしてくれた一方で、さすがは『大英帝国の歴史』の著者、フェアじゃないと思うを禁じ得ない。