でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『不実な美女か貞淑な醜女か』

エッセイを好んで読むことはあまりないのだが、皆無というわけではない。『ロシアは今日も荒れ模様』がとても面白かったので、他の著作が気になり手に取った次第である。

本タイトルの意は、通訳という業に対する業をあらわしたものだという。

中村保男氏著『翻訳の技術』(中公新書)によると、これはイタリア・ルネサンスの格言「翻訳は女に似ている。忠実なときには糠味噌くさく、美しいときには不実である」に由来するし、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)によれば、十七世紀のフランスで訳文の美しさで人気の高かったペロー・ダブランクールの翻訳を大学者のメナージュが評して、「私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった」と述べたことに始まるらしい。この時以来 Belles Infidéles(不実な美女)というフランス語は、「美しいが、原文に忠実ではない翻訳」を指して用いられるようになったということだ。

P.147

顧客の業務を咀嚼し、相互に理解可能な文書をおこして合意を得、コンピュータが理解する言語を記述する。我が身の業はプログラマーだが、本書から通訳・翻訳と似たところがある業種だと覚えた。顧客の要望を聞くときが通訳、要望を仕様化したり実装したりという作業が翻訳、という印象である。

顧客要望の聞き取りは即時性を要する作業ではないので通訳的であってはならない行程だと思うのだが、金銭的綱引きによるものか、人材的要因によるものか、顧客自身が自らの業務を理解していないためか、結果的にそのようになってしまう。合意を得た後に誤解が出現することによることからそう感じるわけだが、これは翻訳のミスによるよりも、異言語間のコミュニケーション齟齬に由来すると体感するところである。

かような印象を得てしまったためか本書に記された失敗談や愚痴には、大同小異のあるある感で苦笑を禁じ得なかった。