でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『原子力発電』

武谷説と「がまん量」

 原水爆実験に反対する全国民的な平和運動に科学的な武器をあたえたのは武谷三男であって、その主張は『原水爆実験』(岩波新書)に詳しく述べられている。
 晩発性、遺伝性障害の発見と比例説の出現とによって科学的な根拠を失った許容量をはなれて、放射線障害について新しい考え方を構築する必要に迫られていた。武谷は、この要求にまさに応える考え方を提出したのである。
 障害の程度を正確に科学的に推定することが不可能な場合、こと安全問題に関しては過大な評価であっても許せるが、過小な評価であることはあってはならない。この原則的な立場に立てば、「しきい値」の存在が科学的に証明されない限り、比例説を基礎において安全問題は考えなければならない。ちょうど具合のよい所に「しきい値」があって、それ以下は無害と都合よくいっている根拠は何もないからである。
 そうすると、有害、無害の境界線としての許容量の意味はなくなり、放射線はできるだけうけないようにするのが原則となる。そして、やむをえない理由がある時だけ、放射線の照射をがまんするということになる。どの程度の放射線量の被曝まで許すかは、その放射線をうけることが当人にどれくらい必要不可欠かできめる他にない。こうして、許容量とは安全を保障する自然科学的な概念ではなく、有意義さと有害さを比較して決まる社会科学的な概念であて、むしろ「がまん量」とでも呼ぶべきものである。
 武谷の考えは、いろいろの機会に日本の科学者によって主張された。やがて、アメリカの遺伝学者たちの中にも、集団に対して放射線被曝のリスク(危険性)とそのもたらすベネフィット(有益さ)をバランスさせて許容量を決めようという考えが次第にでてきて、今日では放射線の許容量については武谷の考え方が世界的に認められ、ICRPの国際勧告もそのように変わってきた。

P.70

 放射線の利・害のバランス

 それでは、放射線の最大許容量は、その発生する障害がたとえば交通事故死の何分の一になるようにと決めるべきものなのであろうか。それもおかしな話である。
 すでに述べたように、武谷は原水爆実験反対運動のなかで、許容量とは「がまん量」の意味で、放射線に期待する益を一方においたうえで、害をがまんできる限度として許容レベルが決まることを明らかにした。したがって、有害無益な放射線についてはがまんをする理由はないのであって、有害有益な放射線をどの辺までうけ入れるかという問題になるが、その判断を決める主体は放射線被曝をうける人々自身に他ならない。
 この理論はその後世界的にうけ入れられるようになったものの、多くの場合、障害の大きさ(リスク)とその個人における有益さ(ベネフィット)とを秤にかけてバランスを決めるその人は、障害をうける当事者の市民自身であるとする、肝心の点が忘れられている。そのために、バランス論がまげて用いられ、いろいろなエゴイズムがそれをかくれみのに利用している。
 社会全体が等しく利を分ちあい、害をともに背負うのであれば、利害のバランスの話はまだ簡単で明瞭である。ところが現実の日本の社会は、地域的な、あるいは階級的ないくつかのグループに分れていて、リスクをうける人々とベネフィットを手にする人々とが別々である場合が少なくない。私達が当面している原子力発電と放射線障害の場合もまさにそうである。

P.82

 どうしてこのような突然降ってわいたような大ブームが出現したか、森氏によると、もっとも常識的な解釈はアメリカの原発メーカーが量産によるコスト低下をねらって打って出ただセールス作戦であろうという。
 たしかにこの説を裏づけるいくつかの技術的なポイントがあるのだ。それは、火力発電の方はより高温・高圧のタービンを追う技術開発で推進されているのに対して、原子力発電では、発電炉から出てくる水の温度・圧力は一定していて変えていない。そして大型化は、実地試験によらずに計算機による模擬計算にほとんどの基礎をおいている。そのうえに、発電価格はアメリカ政府がその全権を握っている濃縮ウランの供給によって、ある程度はどうにでも左右できる。この最後の面からみると、この軽水炉の大売出しは単なるメーカーの作戦ではなくて、アメリカ政府そのものの打ったエネルギー戦略と見ることもできる。つまり、中東アラビアの原油地帯はだんだんに重みを失って、アメリカの濃縮ウラン工場が世界のエネルギーを左右する鍵をにぎるようになる日を待っていたのだ。

P.122

ラスムッセン報告

 実際の発電炉について、事故の発生から放射線障害にいたる一連の経過は、いくつかのサイコロを投げるより遙かに複雑な現象で、モデルを用いて簡単化を行わなければ、大型計算機を用いても計算できるものではない。そのうちで、災害評価のための環境条件、すなわち人口分布や気象条件については、アメリカにおける発電所の代表例をいくつかとって、そこにおける統計を利用すれば、ある程度までは数量化することができる。もっとも問題となるのは、発電炉にどのような事故がどれくらいの確率でおこるのか、またそのそれぞれのとき、死の灰はどのくらい発電炉を出て大気中に放出されるのかという問題である。そのために、ラスムッセン報告では、「イベント・ツリー」と「フォールト・ツリー」という方法をとっている。
 「イベント・ツリー(事件の樹)」とは、原子炉事故をどのような「サイコロ」でモデル化するかを求める方法である。たとえば、一次冷却水のパイプが破れたときであっても、その時に、電源、ECCS、スプレー、格納容器などがどうなっているか、どう作動するかによって事故の経過は異なってくる。そこで事故を一連の事件のつながりで表して、一つの原因からおこりうるあらゆる経過をもれなく拾い上げると同時に、何が事故の経過を左右するものであるかを明らかにしてそれを「サイコロ」とするわけである。
 図16には、ラスムッセン報告が分析したPWR型炉の冷却水パイプに大破断がおこった時のイベント・ツリーを書いてみた。破断ののち事故の経過を決定する主なサイコロは、この場合は六つで、それぞれのサイコロがイエスとでるかノーとでるかで、いろいろの場合に分れる。それぞれの場合について、どのような結末となるかをあわせて記してある。
 サイコロの時と違って、イベント・ツリーでは、それぞれのサイコロは独立であるとは限らない。たとえば、電力供給がノーであれば、それからあとの安全装置はみな働かないので、図のように道筋は一本になってしまう。このようにして、事件のすべての組合せをとる必要はないのである。

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P.134

 人間のミス・機構のミス

 大事故の原因が、もとをたどってみると人間のつまらないミスにはじまっている場合が多いことは、一般に多くの経験がある。機械がうまくできているものほど、ミスが人的な要因に帰せられる場合が多い。だから日本の発電炉にはこれまでに述べてきたような炉そのものの欠陥による事故が絶えないのは、むしろ何よりも軽水型の炉が一人前の実用段階にまだ達していないことを雄弁に物語っている。
 玄海一号炉は、PWR型炉で一九七五年七月からの営業運転をめざして六月から試運転中であった。ところが、六月一〇日午前八時二〇分、復水器の排気筒のモニターが、放射能のレベルが高くなることを知らせる警報を出した。これは、先輩の美浜原子力発電所が何べんもおこした事故とまったく同じで、さては蒸気細管に穴があいたな、ということになった。それにしても試運転早々に、美浜のような細管の腐食が進むとも思えない。
 調査の結果、製造の工程で鋼鉄製の巻尺が炉内に置き忘れてあり、これが高速の一次冷却水で流され、折れた一部が蒸気発生器の細管にあたって傷をつけたものとわかった。もしも炉心の方に巻尺がとびこんだら、炉心は大きな破損をひきおこしたであろう。これは、手術のときに腹の中にハサミを置き忘れる事故のようなもので、まったく初歩的なミスである。
 ラスムッセン報告のフォールト・ツリーでは、このような初歩的なミスは勘定に入ってない。つまり、製作の工程管理、部品の品質管理が計画の通りに実行されていることが前提となっている。アメリカでは、ボタンが切れて中におち込むことさえ警戒して、作業衣が工夫されている。工程や品質の管理は、大量生産がお手のもののアメリカでは、それなりにきちんとしている。
 日本の原子力は他の産業と同じように、大企業は下請けに注文し、下請けはその下請けにもっていって、最後の現場は労働条件の劣悪な臨時工におしつけられるという伝統からぬけ出そうとはしていない。このような前近代的な体制で仕事をするのであるから、工程や出来上がりの合理的な管理がなじむはずはない。日本はまだ「合理化」という言葉が人間性を無視した労働強化という意味で用いられる風土なのである。
 これに似た話でいえば、制御棒の上下が逆になって入れられていた事件がある。島根原子力発電所は、一九七三年九月一九日、通産省の立ち入り検査が行われた際に、四本の制御棒が上下逆さになっていることが発見され、さらに翌日一六本が逆さになっているのが発見された。その後の検査でもさらにその数は増え、結局全体の三七パーセントにあたる三六本が逆さになっていることがわかった。島根の原子炉はBWR型であるが、同じBWR型炉の福島原子力発電所の二号炉でも、同じ年の一〇月、制御棒の二三パーセントに当る三二本の制御棒が逆さになっていることが発見された。これも工程管理のお粗末なことの一例である。この制御棒はアメリカから輸入したもので、アメリカにおける工程管理にも大きな欠陥があることを示している。
 安全審査が原子力委員会の責任であるのに、建設工事の検査、運転時の事故調査、定期検査のすべてが通産省の責任となっているのも日本独特のシステムであって、伝統あるお役所の縄ばり争いがここでも顔を出している。

P.156

我々はこの図(ラスムッセン報告の図)を知っている!
いや、電力供給がノーであれば、それからあとの安全装置はみな働かないという現象を見知っている!
恐るべき武装現象ッ!

『ちゃりの奇妙な冒険』 第二部冒頭

かつて、就職を考えたとき、原発ないしはIHIを検討したことがあった。振り返ってみれば身の程を知らぬ愚行である。原発は電力会社のものであるのに、「電力会社に就職」ではなく、「原発で働いてみたい」という動機であったことが青臭い。
検討は実現には至らず、その後、原発に対して特に思うところなく生きてきた。
原発に関する私見が露呈したのは、数年前、腐れ縁が実家をオール家電にしたと自慢げに語ったことに対し、電力会社のいいなり乙とコメントしたときのことだ。それまでなにも考えていなかったのに、原発に賛成しているわけじゃないんだなと思ったものである。

先日、手羽をくっつけたままのモモをカレー味に揚げて出す店で夕食をとっていたとき、店のなじみであるらしい、六十~七十才台の男性が、原発事故に対する自論を語っていた。曰く、
東電の責任追及ばかりが強調されるが、皆が賛成してきたことなのだから――云々。
そうか、俺は賛成してきたのか。知らなかった。

本書は1976年2月20日初版刊行。手もとにあるのは1980年6月25日刊行の第8刷である。
着手に至ったのはRSSを経由して目にしたいずこかの記事がきっかけで、鳥からの店で耳にした主張に触発されたからではないが、本書によって、原発導入に際してどのようなことがあったのか、その事情をおおまかに俯瞰することができた。
本書の「序にかえて」によれば、

 三月になると重大な二つの事件がおこった。まず二日、昭和二九年(一九五四年)度原子炉予算二億三〇〇〇万円が突如として改進党中曾根康弘氏を中心に提出され、直ちに衆議院を通過した。中曾根氏は茅氏に「学者がぐずぐずしているから、札束で頬をひっぱたくのだ」といったと伝えられた。何れにしてもアイク提案が直ちに効果を日本にあらわしたのであった。

という。
関係ないかもしれないが、わりと最近読んだ本には、米国の資本は、いろいろな姿で日本に注入されてきたことが記されていた。
真偽はさておき、生まれる前に決まってしまったことに対してどうこう言われてもなあと思いつつも、票はもってるし、利益は確かに受けてきたし、一定の負担には応じることを厭うつもりはないけれど、ねんしゅうにせんまんてなにそれおいしいの?というボクに求めるより先に、求める先があるんじゃないのかなあと思うのである。

全文引用したいくらいの内容だった。