でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『封仙娘娘追宝録』

絶版か、それに近い状態にあるもの、入手難易度が非常に高い作品を勧められることがある。
機会あるたびに勧められては、そのたびに入手難易度の高さを思い知らされ、忘却へと誘われる。そのようなことを何度か繰り返すうちに、古本屋でふと思い出したりするようになる。
一冊、二冊と拾い集めて、はて、何巻を未入手だったかなとメモを残すようになった状況で進捗がなくなりしばし、唐突に最終巻なんかを手に入れちゃったりなんかして、意味もなく奮起して回収に励み、残り数冊に。
なんてことになると、コレクター魂が揺り動かされ、アグレッシブに回収に乗り出すことになる。最後まで見つからなかった4巻は、ブックオフオンラインで入手した。

半端に集めて読み出してしまうと、おもしろかったとき困るので、そろうまでは読まない。しかしながら、「そろえてから読みたい」は「ともかくそろえたい」に容易に置き換わる。
手段が目的にすりかわってしまうことは、ままあること。こんなふうにクエスト達成すると、それだけで気が抜けてしまう。
読み始めるまでに無意味に寝かせたりすることになる。
未知の作家であれば、これに陥る傾向は強い。

さておき。
本編全11巻。
いろいろいいたいこともあるが、気に入ったから黙っておこう。
入手難易度が低かったならば、人に勧めることもあるかもしれない。
この物語をリアルタイムで追っていた愛読者は、さぞかし10巻を心待ちにしたであろう(9巻から10巻まで6年の空白期間が存在した)。
『魔宮バビロン』風味は本来忌避する性だが、似て異なる本作品の風味は悪くはない。
おそらく推敲を幾度も重ねる作家であろう。だが、過ぎた推敲は、時として悪文を誘発してしまう。
短編集全5巻、どうしようかな。読もうかな。
そんな作品である。

中華風ファンタジー。
読前に知っていたのはこれだけ。まったくもって好みではないカバーイラストから、そうと察したに過ぎない。
ろくに調べもせずに着手に至ったのは、推薦者に対する信頼と挑戦から。
数少ないとはいえ面識のあるものからの挑戦を、見知らぬ他者の理で汚したくはない。

主人公は十五歳の少女仙人と、人に変化する刀の宝貝
そんな記号に惑わされる性質は有しておらぬが、ラノベにありがちな最強属性が付与されていないことは特筆に値する。反面、主人公補正の強度は高い。

仙人が使う仙術、すなわちファンタジーでいうところの魔法について、一部、科学との対照を行っているところが興味深い。

まったく心動かされなかったイラストについて、最終巻、主人公・和穂が丼をかきこみながら戦闘記録を熟読するシーンのそれが、ひどく、そして久しぶりに心動かされる絵であったことは余談である。