でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『皇国の守護者』

 そういえば。間の抜けた思いを新城は味わった。僕はなにをしにきたのだったか。

第四巻 P.222

未完。
それが手を出さなかった理由だった。

コミックを読んだ。とても面白かった。

打ち切りになった。
原作者に科があると聞かされた。原作よりも面白いコミックに嫉妬したゆえである。そう、巷で囁れているとも聞いた。

なんとなく読んでみる気になった。ネガティブなところをトリガにするあたり、我ながら歪んでいると思う。

既刊9巻。
未完と聞いていたが、これで完結ととらえられなくもない。新城直衛の征く果ては漠然とではあるが語られている。終わった物語として評価することもできる。
刊行を追ったファン、コミック版を支持するファンからすると、設定変更に言いたいことがあるらしいが、個人的にはそれは気にならない。

明らかな方針変更が見受けられるのは、恐らく初期の構想が陳腐に思えるほどの大構想を思い付いてしまったためであろうが、その変更は個人的に許容範囲である。丹念に巻を重ね、皇国の守護者たるを描写し続けた姿勢には変わりないが、変更以前と以後では物語の尺度が異なり、面白いが、書きすぎとも思える。
そう、書きすぎてしまったのだ。

そんなこともどうでもいい。

おもしろかった。コミック版が大きく勝るとは思えない。
ただ、絵にはわかりやすい反面、そぎ落とさねばならぬ情報もあり、小説とコミック、両者が比肩する質の場合、それは両者それぞれの長所を評価すべきであろうと思う。

中断の理由について、原作化の過程で、そぎ落とさねばならぬものが大なりであることを、原作者が厭うたのではないかと、そんなことを思ったりもするが、これもまた、どうでもいい。

読中に抱かされた感慨のほとんどがほどよく昇華された今、思うことは。

佐藤大輔という作家は、福井晴敏よりは信用のおける作家であろうこと。

塩山紀生のカバーイラストは手抜きすぎだろうということ。

そんなところか。


PS.
現代社会に跳梁跋扈するモンスターを狩る専門家が、山手線で現場へ移動する」
かつてこの作家の身の内にあった、虚構と現実の線引きに関するセンスは、本作品にもそれなりに活きてはいる。
自らデザインしたゲームを自らプレイする場合には無様は晒さない、と読み替えることもできるが。