でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

薬屋のひとりごと

少女漫画をそうと意識して自発的に読んだのは小学生、たぶん高学年だったと思う。
コロコロコミックの購読をやめ、コミックボンボンの購読をやめ、ジャンプを読み始めた頃、なけなしのお年玉で『ブラック・ジャック』全巻(当時全21巻だったと思う)を古本でそろえるなど、小遣いのいくばくかを投入して得た蔵書は貧弱で、やがてすべて読み飽きる時が来た。

地方都市に存在していた実家には、車が数台止められるスペースがあり、簡易な片持ち屋根のみのガレージがあった。物を捨てられない父親はそこに廃棄予定の品々をためこみ、屋根の下はだんだんと車ではなくゴミのスペースになっていった。その中に、近所に住んでいたおばの愛読書であったらしい『花とゆめ』があった。

それと意識した少女漫画との出会いが『花とゆめ』というのは、姉や姉的存在をもつ男子ならば普通にありえたことで、さして珍しいことではないかもしれない。当人にしても『ブルー・ソネット』や『スケバン刑事』、『パタリロ』が掲載されている雑誌を当初少女漫画とは思っていなかったか、思わないようにしていた節がある。それらにも読み飽きたとき、『ミルクタイムにささやいて』とか、わりとアレななかでも男子小学生のマインド的に読むに耐えるものに着手して、現在の自我が形成された。

「少女漫画」という呼称は区別か差別かという話題が一時期あったように記憶しているが、個人的には区別である。面白ければ読むし、他のジャンルと同様、あわないと思えば読まない。他になんと呼べばいいのかという議論には「フラワーコミック」とか「花とゆめコミック」と呼べばよい、という回答が与えられていたが、それらを包括する呼称についてどう決着したのか、いまだ知りえていない。

さて。
薬屋のひとりごと』は小説だが、王道少女漫画的である。読んでいるとき脳裏をよぎっていったのは『はいからさんが通る』であり、『ときめきトゥナイト』であった。
どちらも嫌いではないが、後者は話が進むにつれてバトル物でいうなら戦闘力のインフレともいうべき現象が発現し、つまり、どんどんと設定が盛られていき、あたしもスーパー、彼ぴっぴもスーパーになっていっちゃって、なんだかなあという印象が強い。ジャンプ的バトルものが好ましいと思えない原点は、このあたりにあるのかもしれない。
近年の作品では、漫画ではないが『トワイライト』シリーズや、『ハンガー・ゲーム』が相当する。後者は『~イレーナ』の系統で好ましくない。
前者は嫌いではなかったが、巻を重ねていくごとに盛りがすごくなっていって辟易させられてしまった。超絶イケメンでケンカに強くて、でも優しくて、セレブで、なにか事情があると思ったらバンパイアで、どこもイケてないあたしにメロメロなのという、理想の彼氏像が読んでて辛い。イケてないあたしも、なんだか事情があるらしいところで読むのをやめてしまった。いわゆる少女漫画設定は洋の東西なしということなのか、『トワイライト』がMANGAを研究したということなのか。
個人的には物語に登場するカップルはカップルとして受け止め、彼氏のいる作中人物をいいなと思っても横恋慕することはない。だから彼氏のいるヒロインが主人公の物語が受けるのかという疑問に対して、「ヒーローを彼氏にして妄想する」という回答を、とある女性から得たことがある。「でもそのヒーローには彼女いるじゃん?」と返したら、「その彼女は飛行機事故かなんかで死んだことにするの。傷心の彼氏をなぐさめて、彼女になるの」とか言っていた。殺すところから始まる恋物語

本作品との出会いは漫画版であり、お試しで多分1巻を読んだ。面白いと思ったが、そのころは読後メンコにしたくなった『毒味師イレーナ』を読んだばかりであり、なんとなく似たテイストだったのでそれ以上の介入を避けた。
ちなみに『毒味師イレーナ』の原題は"Poison Study"である。せめて邦題が『毒味役イレーナ』だったなら、メンコ気分にはならなかっただろう。師とかいったら、違うストーリーを想起するじゃん!?

その後、アマゾンのセールで見かけたので購入してみたら漫画ではなく原作小説で、ちょうど小説を読む気分ではなく漫画が読みたかったこともあって勘違いに意気阻喪し放置していたが、ついに着手する気になり、気づいたら1巻を読破していた。
面白いのだが、しかし、前述の設定過剰を早くも匂わせており、不安が募る。後出しにならない配慮と思えば良心的だが、経験値が邪魔をする。

おすすめではある。
気にもなるのだが、この先はきっと当方には禁区だと思うを禁じ得ない。