でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『憚りながら』

 朝日新聞「虱の会事件」

 そうして何年か、野村さんと親しく付き合ってきたんだが、平成を過ぎたあたりから野村さんが、今度は朝日(新聞)と喧嘩を始めたんだ。喧嘩といっても"言論"の世界で、だけどもな。野村さんと朝日の対立が決定的になったのが、例の「虱の会」の事件だ。

 1992年(平成4)年、野村が代表となり、参議院選挙に候補者を擁立した政治団体「風の会」を『週刊朝日』に「ブラック・アングル」という風刺イラストを連載していたイラストレーターの山藤章二が「虱の会」と揶揄したイラストを掲載。これに対し野村は猛講義し、朝日新聞社などを公職選挙法違反で告訴。朝日新聞社風の会に対し、公式に謝罪した。

 伊丹の事件(伊丹十三監督襲撃事件、第8章で詳述)の時もそうだったけど、ヤクザや右翼がマスコミ絡みで事件起こしたら、マスコミは「言論に対するテロだ」なんて言うけど、マスコミによる「言論によるテロ」だってあるんだよ。
 この野村さんの(風の会の)事件なんかまさにそうだ。彼らが自分たちの思想信条や信念に基づいて、ちゃんとした手続きを踏んで作った政治団体を、だよ。確か全国で50人ぐらいが立候補して、30万票ぐらい取ったんじゃないか。そんなちゃんとした政治団体を「虱」呼ばわりはないんじゃないか? そりゃ野村さんの考えは、朝日の考えと真逆だろうが、だからといって「虱」というのは、ひど過ぎる。
 しかも、野村さんから抗議を受けたら(朝日は)「すみません」と謝るばかりだったが、あれは「すみません」で済む問題じゃない。野村さんに対し、風の会に対し、朝日新聞という組織としてどうケジメをつけるかっていう話だ。結局、朝日はケジメのつけ方も分からんで、最後には野村さん自身がケジメをつけちゃったんだけど・・・・・・。
 言論の世界なら、暴力使わなきゃ何しても許されるってもんじゃない。野村さんの場合はまだいいよ。マスコミに対して抗議できる能力も、立場もあったからな。朝日にケジメつけさせる実力を持っていた。けど、そういう知恵も、能力もない人間がマスコミから叩かれたらどうなる? ちょっとしたことでマスコミに叩かれて倒産した会社や、表舞台に立てなくなった人っていくらでもいるよ。
 マスコミってのは、人を傷つける仕事なんだ。サツでもないのに、人を追い詰めて、追い詰めて、最後には命まで取っちゃうんだからな。ヤクザでも、仇でない限り、そんなことはしない。それで散々人を傷つけといて、会社を倒産させといて、その記事が間違ってたら、数行で「すみません」なんて謝る。テレビだと番組の最後に「お詫びして、訂正します」ってこれだけだ。そんなもんで済むのかよって、いつも思ってるよ、俺は。だからマスコミには、うんと気をつけて欲しいんだよ。その典型的なケースが野村さんの(風の会の)事件だった。
 野村さんの遺書になった『さらば群青』(二十一世紀書院刊。同書初版の奥付は、野村が自決した「平成十年十月二十日」となっている)って本を読んだんだけどさ。あの中で、朝日の幹部4人にそれぞれ、野村さんが「あなたは、極東軍事裁判で、"日本は無罪である"と判決を下した、インドのパール判事の判決文を読まれたことがありますか」と尋ねるシーンが出てくるんだ。野村さんにこう聞かれた朝日の幹部のうち3人が東大出で、ひとりが京大(卒)だ。けれどもその4人全員が「いや、(読んだこと)ありません」って答えるんだ。そこで野村さんは唖然とするんだけれども、俺だって唖然としたよ。(『さらば群青』では)その後も天下の東大、京大出た朝日新聞の幹部が、「東京裁判をどう思うか」という議論の中で、野村さんからクッタクタにやられてるわけだ。
 朝日新聞っていやあ、日本のマスコミを代表する新聞だろ。そこの幹部といえば、言って見りゃ、日本の言論界のトップにいるわけで、そういう人たちは当然、日本の歴史や世界の歴史が頭に入ってて、世界情勢語らせても、日本の政治語らせても、一流の論客だろ? 俺のようなもんは、そう思ってたんだ。ところが、元愚連隊で、独学で勉強した野村さんに、それこそ"言論"で、徹底的にやり込められてるんだよ。日本の言論機関のトップなら、野村さんにどんな論争を挑まれても、笑って返せるぐらいの度量が欲しいよな。それが完全にやり込められて「すみません」「すみません」だものな。

P.146

日本の歴史に興味を持ち、いろいろと当たっているうちにいつしかはまり込んだ枝道に本書はあった。枝道か裏道か、道の基礎か、よく分からないが、そういうことらしい。

インタビューをとりまとめたという形式を執っており、自著ではなさそうである。時代に関わったというような論調ではなく、傍観者として時代を俯瞰したというような印象を受けた。
本書における、いわゆる筋モノについての主張は、『疵―花形敬とその時代』などと対照するに、主観や主義に左右されるということになろう。

極道を引退したあと、『BOX 袴田事件 命とは』を仕掛けたらしい。