でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

問いのなかにも、いつも罠

低学年の小学生は、唐突に、よく分からない質問をすることがある。
当人にも質問の意図がよく分かっていないと察せられることもあるが、後で考えると、そのトリガとなっているものに気づかされ、得心することもある。

 

受け身の練習中のことだった。
何故受け身が必要か、起き上がる動作の練習が必要か、質問があった。
ふざけてでも、わりとマジでも、とっくみあいをしたことのある者なら、無意識にでも、相手を転倒させようとした経験があるだろう。その前段階では、これも無意識にでも、相手の無力化を企図して腕などを掴む過程があるが割愛する。
不本意な転倒を余儀なくされた時には受け身は有用である。だから、訓練する。
また、転倒状態にあるほうが不利なことは当然である。不利を打開する手段の一つとして、転倒状態からの復帰を訓練する。
「転ばない人は練習しなくていいです」
そんな風に結びつつ、蹴り足を取って転倒させる技術を紹介し、受け身および転倒状態からの復帰が必要である旨を強調した。

 

ややあって再び質問がある。

 足を捕まれた時、相手が包丁をもっていたらどうしたらいいですか。

包丁を持っている人を蹴りに行く勇気を褒めればいいのか。
集団で練習しているさなかのこと、全体を止めてしまうようなKY気味の質問はいささか迷惑ではある。が、すげなくはしない。

 では、やってみましょう。

質問を発した小学二年生の男子を呼び寄せ、蹴り足を取る。片足けんけんで手一杯、どうするすべもない。

 どうしたらいいと思いますか。

猶予は数秒。

 はい、アウト。

ナニカをもった風に手を擬し、頭をぽんと叩く。

 どうしようもありませんね?

蹴り足というものは意外と簡単にキャッチできるものだ。キャッチされない蹴りを放つにはそれなりの習熟と、相手にダメージを与えるという意味合いで、本気度がいる。練習中の蹴り足は本気度が低くとりやすので、それで技術が身についたと誤解してはならない。
蹴り足を抱え込まれてしまった場合の足の抜き方などを紹介しつつ、どうしようもない状況もあることを、そうならないためにどうするかという意を込めたつもりである。

 

以前にも、「ななじゅうにんくらいに囲まれたらどうしたらいいですか」とか尋ねたことのある子であり、またかという思いを禁じ得ずのやりとりだった。何故ななじゅうにんなのか問い詰めたいところだが、ひょっとしたらこちらを試しているのかもしれないとも思わないでもない。無意識にであろうが、この年頃の子は既に、そんな風をみせることがある。特に女子。オトコの提案力を試すらしい女子の性は、比較的早期に養われ始めるようである。

さて、何故包丁か、そのときは気づかなかったのだが、そういえば最近、刃物による、幼児ないしは乳児に対する凶行が連続していたのだった。
意識しての質問ではなかろうが。

飢えたる者は常に問い。