でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

縁故でニッチなお仕事請負

昨年末から、本業的なものの他に、IT関連な小口の仕事をいただいている。
よくいえばコンサルタント、口は出しても手を出せない実情からすれば、悪くいってもコンサルタントなのかもしれないが、いまひとつ実感がわかない。報酬がUberでないからだろうか。

内容としては、昨今、COBOLの仕事が息を吹き返している状況と関連する。
五十~四十年前に日本におしよせたIT化の第一波が、三十~二十年前に日本全土に伝搬した時、少なからぬ中小企業が業務のシステム化を試みた。
案件の全体像としては、そのような時代に作り上げ、2000年問題を乗り切ったが、いい加減古びてしまったシステムの、時代に即したリプレイスおよび拡張検討である。

おそらく、少なからぬ中小企業が似たような問題を抱えている。COBOLの仕事がそれなりにある現状がそれを物語っている。
業務をソフトウェアにあわせられず、独自のシステムを開発したはいいが、当時のIT技術がもっていた枠にはめ込まれたり、またはコストとの折り合いから、あるいはソフトハウスの技術的ナニから当時ですら十分に足るものにはできておらず、これまではなんとか人間力でカバーしてきたが、情報の流通が高速化した時代を迎えて不十分と感じるようになった。だが、どうしていいかわからない。そんな事情があるようだ。
丸ごと新しくするよりは、既存のものをなんとか流用してコストを抑えたい。こういうニーズは、オープン化が声高に叫ばれた時代には予測されていなかった。コストダウンもオープン化のメリットとされていたからであろう。

オフコンCOBOLの仕事はしたことがないので、これまでは想像の世界でしかなかったが、先日、クライアントの業務システム仕様と運用状況を調査してみて、なんというか、実に不便なシロモノであるという印象を得た。プログラムには触れていないので、そうと感じる要因がハードウェア的制約なのか、仕様がアレなためかは不明だが、二昔前にあれほど「オープン化」が叫ばれた理由がわかったような気がする。
不便なことは、クライアントも十二分に理解している。とはいえ、業務システムの刷新には少なからぬコストがかかるため、資金があってもなかなか実行できるものではない。強い動機、ないしはデカルチャーを要するようだ。

クライアントがIT関連システムの見直しを決意した理由は、情報の価値を再発見したことによる。ピザ屋に電話で注文したところ、前回の注文などが提示されるなど、顧客情報をサービスに有効活用している様を実体験して、その有用性に気づいたという。

電話応対支援システムをComputer Telephony Integration、CTIという。「電話が鳴ると、ディスプレイに顧客情報が表示される」的なもので、これはこれで単独でも有用なものだが、欲が出ると、売上や仕入業務と連動させたくなる。そこで問題になるのが、業務システムの現時点での実装であり、拡張性である。
例えばサブシステムごとに顧客コードの桁数が異なったり、コードが重複していたり、異なるコードで同じ顧客が登録されてたりすることがシステム連動の障害となるが、今回のケースはそれに該当した。

今回、新たに承った仕事はふたつ。
ひとつは、情報の整理。二十年来蓄積したデータからゴミを取り除く作業である。2007年頃も似たようなことをしていたが、データが膨大すぎて誰も手をつけたがらなかったことをよく覚えている。今回は数十万件ということはなかろうから、まあ、楽なものか。

もうひとつが、ホームページのリニューアル。作ったまま放置しておいたものの内容を更新し、ネット通販を検討してみたいという。
んで、よりにもよってホームページのリニューアル実装を依頼したいという。

ホームページというものは、個人的な技術的見地からすると数種類のセンスを要するもので、かなり広範囲な知識を必要とするものと認識している。
センスにおいては、いわゆる見た目のデザインセンス、使い勝手のデザインセンス、これらと呼応するプログラミングのセンスも数種あるが、さておく。
ホームページを実際に置く場所についての検討も、なかなかいろいろ難しい。プロバイダの選定に先立つユーザ要件の洗い出し、これが何度も逆行する類のもので、社内政治なども絡んだりするメンドイものである。

ホームページの作成は、初めて行ったのが1992年頃。WebブラウザはMosaicだった。
社会人としての初仕事において、かつてNifty Serveが運営していたフォーラム型の情報サービスを提供するという初期の提案に対し、ホームページを対案としてあげ、受け入れられた。これが1994年頃のこと。ホームページビルダーもまだ世になかった。
次が電子明細システムで、1996年頃か。PerlやCでCGIを作ったりもしたが、この頃にはもうHTMLが嫌いになっていた。記憶にない、なにか嫌な仕事でもあったのかもしれない。

以後、ホームページ系の仕事は縁がなく、むしろ縁を避けてきた。結果としてVB6ないしVBAの仕事ばかり来るという事態を招いたが、ここにきて逆縁を迎えた形になる。
片手間仕事でWebに関わりCSSやらScriptやらに手を出していることもあり、これ系に対して浦島太郎というわけではない。それに近いとしても技術的な面ではなんとかなろうという自信はあるが、イマドキのデザインをやれる自信はまったくないのである。