でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

ラーゼフォン

オンエア時にはアニメ情報を積極的に摂取していなかったから、ライディーンのリメイクあるいはオマージュであることも知らなかった。だから、

――はいはい、エヴァクローンね。最初はそんなふうな感想を抱いた。しかし、
――あれ? これ、ライディーンなのか? いつからか、そんなふうに思うようになっていた。

初回観賞時の、ひょっとしたら二度見ているかもしれないが、それが本作品に対する評価である。ライディーンのリメイク作品かもしれないと思っても、『子供たちの夜』や『ブルーフレンド』のような特筆すべきエピソードがあったとしても、おして見直したい作品ではなかった。だから強いて調べもせず、裏設定とかも知らない。
それが近頃まで続いていた。

積年の念が重い蓋を押し上げて、エヴァクローンではなく、ライディーンのリメイクという目線で見てみようという気になった。

20話あたりから気持ちわるくなる。最終話に向けて加速度的に気持ち悪くなっていく。一貫性をもっているのが紫東遙の想いだけしかないという、物語の構造の悪さだけではない。また、初回には感じなかったことである。

勇者ライディーン』オンエア当時はUFOとかネッシーとかムーとかアトランティスとかノストラダムスの大予言とか流行っていた。大雑把にまとめるとオカルトと呼ばれるものである。
オンエア当時、つまりは幼少の頃、『勇者ライディーン』のムー的成分は神聖なものとして受け止めていた。そうではなく、オカルト的なものとして解釈したとしたらムーリアンになるのかもしれない。そんなことを思いついて、ようやく気持ち悪さは消えた。

名の知れない感情は居心地が悪いということだ。解釈違いなら仕方ない。

not for me.