でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『表の体育・裏の体育』

体育という言葉の語感から想起されるものは「紅白帽をかぶりそろいの体操着で運動をする」というものであったが、本書には長年にわたるその印象を一新する定義がなされている。それは身体にかかわるすべてを体育とするもので、言葉から直感的に得られる身体操法はもちろん、医食同源の概念も含まれ、精神も含む人間の生命を養う法全てをそれとしている。

本書によれば、明治期の日本では霊術というものが流行ったという。霊という語にはオカルティックな響きがあるように感じられるが、かつてはそうではなかったらしく、敢えて現代的な単語に置換を試みてみるならば氣やヨガのような「科学的検証は未済だが効果があるらしい心身練磨法」といったものであるという。そして、そのような西洋科学の検証を得ていないものを称して「裏の体育」としている。

肥田式強健法の名を知り得たのは、少年時代に読んでいた週刊誌の広告においてであろうか。特に強く興味を喚起されることはなかったが、字面から健康法の類であるらしいことは察していたらしく、ハラの出たオッサンの写真がでかでかと掲載されていて、「このハラでケンコーとか謳ってんのw?」的な印象を抱いたことを覚えている。後年、あのハラの異様さを恐るべしと感じたこともまた。

肥田氏の超人っぷりは、本書と並行して目にすることとなったハンス・ウルリッヒ・ルーデル列伝と比して損傷なく、その真偽はともかく、いずれも伝説であることは間違いない。
その威はあまりにも鮮烈すぎたのだろう。著者は強烈に肥田式を実践し、そのため身体に不調をきたし、肥田式は肥田氏一代のものであり、万人にむくものではないと悟ったという。それでいてなお、著述の中には折にふれて肥田式が登場することの意味を考えれば、著者の同法に対する信の厚さがうかがえようか。著者は「裏の体育」の一大成果として、肥田式にこの上なく依存しているように思われる。

浅学にして肥田式についてはほとんど本著のみの知識しかないが、同法はヨガの亜種ではないかという印象がある。道は異なれど目指す頂きはどうやら一つらしいという漠然とした個人的な思いはさておき、肥田氏がとある禅師の座するを見て、自流との共通点を見出したこと、肥田氏の実体験を記したものが本書には引用されているのだが、その中にて語られている結跏趺坐と結印の意味らしきものは初見にして興味深い。

さておき、武術のことを求めて着手したにも関わらず、本書から得られたもっとも大きなものは歯の健康に関する著述だった。
いわゆる歯みがきによる虫歯予防は一般的に知られるよりもはるかに効果が低いということ、食物が歯の健康を左右すること、である。なんでも、ブドウ糖を飲ませたラット、注射したラット、双方に虫歯が発生したという研究報告があるそうで、また消化を経ずして摂取される糖分のもつ即効的な作用は麻薬的な常習性があるとのことで、特に幼年期から成長期にある人体への投与は慎重を期するべきだと謳われている。