でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『田中清玄自伝』

 陸路を通って行くルートがあり、それまでにも何名か送ったが危険だというので、別のルートを使った。ロシアの貨物船が東京・芝浦から出てウラジオまで行く。その石炭倉庫に乗せる線があった。これを扱っていたのがオムスです。そのルートはほんらい俺が使うはずだったのだが、俺はソ連渡航する気などまったくなかった。それで野坂にこれで行けと言ったんです。小便が大事だぞと。小便はビール瓶にいれて捨てろと。それから向こうへ着いたら、迎えが来るまで動くな、出てはいけないと、そこまで教えたんだ。

P.63

 外務省とは別ルートです。この問題の解決は外務省じゃとてもできませんよ。相手国から信頼されていないんですから。それで池田さんに言われて、空手とタイ拳の交流という名目で行ったのです。

P.211

 ダンスも終わって、さあグランドホテルへ行って休もうと玄関まで出てみたが、車は一向に来ないし、案内の者が変な顔をしている。どうしたって聞いたら、車が盗まれたと。警察を呼んで、いろいろ調べたが、ホテルの守衛の言いぐさがいい。「ここまでが私どものホテルの責任になる管轄下で、その境界からあなたの車は一メートル出ていましたから、我々の責任ではない」って(笑)。立派なもんだ。これがスペインに着いた、まさにその日のことですよ。

 ――犯人は捕まらなかったんですか。
 出てくるもんですか。ジプシーの国ですよ。昔は馬泥棒というのがあった。馬泥棒は三十分もたてば、自分の馬かどうかまったく分からなくなってしまうぐらい、次々と人から人が乗り換え、鞍や馬車の造作はもちろん、毛並みや色つやまですっかり塗り替えてしまうので有名な国だ。馬が車に変わっただけの話で、今でも変わりありません。

P.263

 欧州では知らん者はない。ナチに対する最大のレジスタンスをやった人物だ。ドイツ占領下のフランスで、ナチの軍隊が列車でトンネルに入ったところを見計らって、トンネルの前を爆破して立ち往生させ、列車が後ろへ下がろうとすると、今度はトンネルの後ろを爆破して、ナチスドイツ軍の兵隊を蒸し殺しにするなんてことをやってきた。何回もナチは手ひどい目に遭わされている。年は俺よりも若いね。
 荻原大使から名前を聞いて知っていた。大使は、
「ボーメルは日本でいえばやくざ者だが、これ無くしてフランスはナチのくびきから脱却できなかった。ド=ゴールはよく使った。国が滅びるかどうかという境目には、ああいう人物が必要とされるんだな。だからものごとは一面だけで見てはいけない」
 と言っていたが、その当人だ。

P.271

 あらゆる物質は核、つまりケルンがなければ結晶はしない。真珠がそうだ。あこや貝に小さな粒を入れるから、その周りに分泌が始まって、あんなに綺麗な真珠の玉ができる。それから子供の頃に食べたコンペイトウというお菓子がありますね。あれはただ砂糖を入れただけでは、固まりません。小さい芥子粒を入れるから、結晶ができるんです。人間だって同じ。哲学のある人、信念を持っている人とそうでない人とでは、大変な違いがある。民族だって同じです。天皇制や王政がなぜ何百年、何千年たっても人類社会で続いてきたかを考えれば、私はまさにそれではないかと思う。民族にはバックボーンが必要なんだ。日本でもごく一部の人間が、共和制にするために、天皇制を除外するというが、できはしませんよ。やったら大変な混乱が起こるし、日本は壊滅します。
 私は「自分は自由を愛するロイヤリストだ」と言っているんです。「アブソリュート・ロイヤリスト」ではありませんよ(笑)。これが平和を保つには一番いい政治体制なんです。自由主義や民主主義が共産主義に取って代われるという妄想は止めた方がよい。これは頭の悪い欧米の連中の考えだ。なぜなら現実はそうはならないじゃないか。国には中心となる核が必要なんだ。二千年たとうが三千年たとうがそうだということは、歴史を見れば分かるじゃありませんか。

P.273

「葡萄の中に生まれ、葡萄とともに育ち、葡萄の彼方へ去って行く カスパー・エサー」

P.278

「わが国は驚くほど広大だし、驚くほど貧乏だ。現在進めている四つの近代化は、絶対にやり抜かなければならない。それには平和が必要だし、この平和は最低でも十五年は続けさせなければならない。だからといって我々を軽く見て、理不尽なことを押し付けてくるものに対しては、断固としてこれを排除する」
 このように中国の基本的立場を説明した鄧小平さんは、続けてこうも言った。
覇権主義で我々を支配しようとするならば、自国のためにも、また太平洋諸領域のためにも、我々は敢然として立つ。なにしろ我が国は、世界で初めて虎の尾の上に腰をかけた国だ。ソ連という国は、デタントなどと大騒ぎをしては、池の水を掻き回して濁らせ、水が澄んできれいになった頃には、池の魚は取り尽くされて一匹もいないというようなことをやる国だ」
 私に言わせれば、この鄧小平さんの一点の曇りもない対ソ認識は、戦前、まだ中華人民共和国が成立する以前からの民族的な体験に基づくものである、一九六〇年代に起きた中ソ対立よりもはるか以前からの問題だからです。中国が国共合作で抗日戦争を戦っていた頃、スターリンは国民党の蒋介石には、いくらでも武器援助をしたが、中国共産党にはどんなに「援助してくれ」と頼まれても、与えなかった。鄧小平さんは「スターリンは、中国では共産党よりも蒋介石の政権が成立するだろうと見ていたのです」と、ズバリ言われた。
 このあと何回目かの訪中の時に、中国各地を案内して一緒に回ってくれた人に、中日友好協会の李福徳さんという方がおりました。日本語が非常に上手で、周恩来さんの秘書もやったことがあるとかで、こんな面白いエピソードを教えてくれました。長江の川下りを楽しんだときの船の中で聞いたのです。
 周恩来さんがある会議に出るため、中ソ決裂後のモスクワを訪れたときのこと。当時のソ連共産党第一書記はフルシチョフだったが、レセプションの席上、各国共産党幹部に周恩来さんを紹介したフルシチョフは、続けてこう言ったというのです。
「彼も私も現在はコミュニストだが、根本的な違いが一つだけある。私は労働者の息子でプロレタリアートだが、彼は大地主の家に育った貴族である」
 フルシチョフという人物は、だいたい国連総会での演説の最中に、靴を脱いでそのかかとで演壇を叩いて、米国への抗議と怒りを表すような傍若無人の男だから、満座の中で周恩来さんに恥をかかせ、自らの優位さを思い知らそうとしたのでしょう。しかし、その直後、顔色ひとつ変えずに立ち上がり、壇上に立った周恩来さんは、こう言ったそうだ。
「お話のように、確かに私は大地主の出身で、かつては貴族でした。彼のように労働者階級の出身ではありません。しかし、彼と私には一つだけ共通点があります。それはフルシチョフ氏も私も、自分の出身階級を裏切ったということであります」
 満場、息を飲んで声もなかったそうです。

P.285

宇宙に広大な版図を築き上げ、三千年という長きにわたり平和を打ち立てたのは、未来を予測する、不死の皇帝だった。彼は、人々から暴君と呼ばれた。

宇宙に進出した人類が、経済格差などから、いずれ惑星間戦争を起こすであろうと予測した天才科学者は、文明の一時後退をも辞さず限定的戦争を起こさしめ、人工知能による人類統治を目論んだ。
疑問を持ちながらもこれに同調し、やがて袂を別った超人は、長き放浪の果てに「人類を救うのは、英雄やシステムではない」と断ずるようになる。

なぜ、名も知らぬ人物の伝記を読むつもりになったのか。
どこぞで、たぶん、格闘技関係の情報を漁っている際に、アレコレに触れた折のことであろう。哀れむべき主記憶装置を装備する身の上として、いつしか読んだ本を記録することを覚えたが、読むに至った理由も記録すべきなのかもしれない。

間違いなく95パーセントに属するために、著述の内容について語る術は持たない。
直感的に思うところがあるとすれば、この人物がいかにして財を成したかというところに尽きる。ここのところが曖昧なために、本書については当座、フィクションとして扱わねばならないということになる。

ここ数年、あれこれ読んできたが、埋まるどころではなく。
1000ピースだと思っていたら10000ピースでした、みたいな。

次に読むべきは、安保闘争ベトナム戦争あたりか。