でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『ジョーカー・ゲーム』

かつて、本作品と同じ手法を採った作家を、ただ一人だけ、知っている。

その作家の名は京極夏彦

そのジャンルに、妖怪という名のオブラートをかぶせた男だ。
このジャンルは注意深く避けているので、他に存在するとしても、無知が故に知るところではない。

この物語を著した作家と、その作品の傾向について知ることもなく、本書を手に取った。
読んですぐ、ああ、そうかと思った。
無知とは恐ろしいものである。事前に明らかな情報を、自ら感得せねばならないのだから。

本作品は、オブラートをはがさないように読めばスパイ小説だが、読んでいるうちに忍者小説を読んでいる気にさせられた。
悪い意味ではない。
いささか物足りないと思わせるくらいに面白い。ただ、自業自得ながら、オブラートを破かぬようにしなくてはならないのがややウザい。

スパイに対する最新の個人的認識は『Gunslinkger Girl』で、当時そしておそらくは今も、著者の大のお気に入りであるアレッサンドロがかつて所属していた部署がそのような機関であった。
スタイリッシュに少女に銃を撃たせるだけではあきたらなくなり、大人の女と、それにつりあう男を描きたくなっているらしいと察しつつ、安心感とともに同作品を読んでいた頃のことである。

さておき。
舞台装置にどれほど意味があるのか不明だが、日中戦争中を扱っているらしいということで、一連の旅の里程に含めることもできる。
『トーキョー・プリズン』なる作品もまたそれに該当するようなので、戦時・戦後の空気を知るものとして読んでみるにやぶさかではない。