でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

悪党芭蕉

悪党芭蕉

この言葉から想起されるものはなんであろうか。本文にはそれをこじつけるような描写はあれど、具体的な例についてあげていない。弟子にものすごい遊び人がいたり、罪人になってしまった者がいたり、ろくでなしがいたとして、そういう人物を好んで身内に迎えたというだけでは、当人の悪党性を十分に説明できない。

嵐山光三郎という名前は、三十年くらい前か、クイズ番組かバラエティ番組で目にしていたように思う。何者か興味を抱くことは当時なかったが、『悪党芭蕉』というタイトルに惹かれて初めて作家と知り、著作を読んでみる気になった。

芭蕉という人物、一門について、ある程度の理解のある読者を想定しており、門外漢にはやや厳しい。ゆえに、各小節のタイトルですら詐欺と感じられる。最終章などは、其角という芭蕉の弟子が一門を分裂に招いたということを、その人物像にのみ依拠して語っており、小節タイトル「蕉門分裂へ」を十分に説明していない。

研究書の類は、時に特定の誰か、読者ではない誰かに向けてドヤ顔していることがある。本書はおそらく、芭蕉を聖人扱いする芭蕉ファン向けに書かれているのであろう。

かつて、あとがきを先に読む勢が存在することを知り、その理念を理解せず、理解しようともせぬまま、これまできた。
だが、本書のあとがきを読んで、初めて彼らの理念を理解したように思う。
タイトル詐欺除け。あとがきにタイトル詐欺の言い訳が書いてあれば、not for me を避けることができる。なるほど、本読みの知恵であったか。