でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

風の帰る場所

 押井守

――『攻殻機動隊』も観ていらっしゃらないんですか?

「観てないです」

――押井守さんから、宮崎さんについては、いろいろ面白いコメントをいただいているんですけど、宮崎さんからはどうなんですか?

「いや、なにを犬に狂ってるんだ、バカってね(笑)」

――(笑)よく知ってますね。

「知ってますよ。人の犬に悪口言ってきてね、それで、喧嘩したんですから(笑)。汁かけ飯がなぜ悪いってね。僕は汁かけ飯で犬飼ってたんですよ。それで十七年も生きましたからね。だけど、押井守は、なんか犬のために伊豆に引っ越ししたでしょう。家の周りに犬の通路作ったりしてね、そのバカ犬をさ、雑菌に対する抵抗力がないから外に出さないとかね。それを聞いたとき、なにやってんだこいつ、って思ったんですよ。大体、ブリーダーってみんな胡散臭い顔してるでしょ(笑)。押井さんに言ったんですけどね、『そんなに犬が好きなら、愛犬物語作れ』って。くだらないもの作ってないでね。人間の脳みそが、電脳がどうのこうのなんて、そんなんじゃなくてね」

――観てるじゃないですか(笑)。

「いや、観てないんですけど。わかるんですよ。士郎正宗の『攻殻機動隊』は読みましたもん。これ全部入らないから、どうせ適当に全部意味ありげに語るんだろうって。意味ありげに語らせたら、あんなに上手な男いないですからね(笑)。『機動警察パトレイバー2 the Movie』のときなんか、まいりましたもん。なんか意味ありげだなあと思っていたら、『しょせん意味などないんだ』ってね(笑)。おかしいなあと思うと、先回りして言うんですよね。実に語り口は巧妙なんですけど、要するに押井さんが言ってるのは、東京はもういいやってことなんだろう、だから、伊豆に行って犬飼うんだろうって。自分が短足だからって、短足の犬飼うなってね。そのバカ犬がさ、家の中にウンコとかおしっことかしてると聞くと嬉しくてね」

――しかし、押井守宮崎駿評と、宮崎駿押井守評ほど面白いものはないですね。

「いや、基本的に友人ですからね。だから、元気に仕事やってほしいんですけどね。でも、押井さんはね、本当はものすごく生活を大事にする人で、彼が作ってるような形而上学的なとこで生きる人間じゃないと思うんですよ。もう無理やり七〇年で止めちゃってね、ぐずぐず言っているけど、本当はものすごく健全で、潔癖な男なんですよね」

――鋭いですね。

「そんなこともうちゃんとわかりますよ。朝早く起きて、夜は寝るもんだってね。そのくせジブリスターリン主義だとか、いろんなこと言うんですね(笑)」

P.172

「実写は楽ですからね。ビールが美味しいでしょ、一日労働するから。そうするとそれで充実しちゃうんですよ、どうも実写の人を見てると、そういう感じがするんですよ」

――押井さんも一緒ですかね。

「うーん、押井さんよりもずっと庵野のほうが才能ありますよね。押井さんの実写はもう、あれ学園祭向きのフィルムから一歩も出ないから。あれ反復脅迫だと思うんですよ。完成品を作っちゃいけないっていうね。押井さんの実写によくスポンサーがつくなと思うだけで(笑)」

――僕も言いますけどね、「おまえ絶対やめたほうがいい」って。カミさんもそう言ってるって言ってます(笑)。

P.206

・・・例えば、あそこ(腐海)の砂っていうのは人間の日常生活の廃棄物が生んだセラミックスの破片でできてる砂なんだっていうようなことを言うと、高畑勲は喜ぶわけですよね。でもどこにも出てこないわけですよ。そんなこと映画の中で言ってる暇がないんです(笑)。そうすると僕はそういうこと落っことすんですよ、これは映画を損ねるからって。でも、高畑勲はそういうことを無理矢理にでも入れるんですよね。『おもひでぽろぽろ』でも、この風景は百姓が作ったんだとかね。なんでそんな共産党の宣伝カットみたいなのを入れるんだろうと僕は思うわけです(笑)。そういう、なんか啓蒙したいという意識は、実のところ僕はあんまりなくて、やっぱり絵草紙派の人間なんですよね。どうもやっぱり人に喜んでもらえないと存在理由がないと思い込んでいて、だから人が喜ばなくてもいいものを作るんだっていうふうにはなかなかなれない人間ですね。それが自分の中で、いつも葛藤としてあることはもう間違いないです」

P.237

 

コロナ由来で図書館が閉鎖され、次に読もうと思っていたものが手に入らず、積読のうちから何か読もうと思ったとき、『ミヤザキワールド』を読み終えたからだろう、本書を選んだ。

読書態勢で読むものではなかったのかもしれない。風呂で読むくらいがちょうどよかったのかもしれない。『ミヤザキワールド』でアレコレとその気になったり、緩和されたりしたからかもしれない。宮崎駿という人物をあまり知らないため、本書の序盤がきつかったにすぎないのかもしれない。

序盤を超えて、たぶん、上に引用したあたりからがぜん面白くなった。
押井氏は好きな作家だが、度し難い作家でもあると感じていて、それを肯定されたような気になれたからかもしれない。

近頃エヴァ序破Qを見たのだが、次回予告が嘘っぱちなのはさておき、Qにおけるシンジとカントクのシンクロ率400%具合はもう、作品として評価するべき内容ではなくなってしまったと思える。一方的に突きつけられる主張をああそうですかと聞き流し、ここの演出はすごいですね、話はアレだけど、とか思いながら口にする必要もない作品となってしまった。ファイナルは、気が向いたら見るかもしれない。
そしてまた、碇ゲンドウとは宮崎駿なのだなあと、本書を読んでそんな印象も抱かされた。庵野氏の師匠筋であろう人物ならば、エヴァという作品に自分宛ての私信が含まれていると感じられたのかもしれない。