でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

オーバーロード 3~7

PvPには大していい思い出がない。
WoWをPvP鯖で開始したのはEQで一緒だったギルメンがいたからで、Hordeを選んだのも同じ理由による。CataとMoPの間の頃だった。PvP鯖というものがどういうものを意味するのか、あまりよくわかっていなかった。レベル差が全く考慮されないPvPが発生すると理解したのはOutlandでソロレベリングしているときだったと思う。真っ赤な奴に瞬殺されて、死体回収に行ってさらにボコられた。
その鯖ではHordeが優勢で、Alianceは我が身が受けた仕打ちを日常にしていると理解したのは随分と後のことだ。つまり、憂さ晴らしにボコられたでござるね。

このようなことがあったからか、やがてPvPマッチも嗜むようになった。腕はよくなく、装備と野良メンバーに依存するようなありさまだったが、一つだけ記憶に残る単独快勝がある。
アチーブを狙って釣り大会にソロで臨んだ時のこと、奇襲を受けた。ああ、死んだと思ったが、なかなか死なない。スタンを受けた自キャラの頭に、回転しながらゆっくりと落ちてくるハンマーが見える。Pallyだと理解した。AllyのPallyが一生懸命殴っているが、耐えている。貧弱ではあったが、PvP装備に身を固めていたのが功を奏したのか。MOBに対して弱くなるので嫌っていたが、PvPではきっちり働くと理解したのはその時だったと思う。MoPの後半くらいだったか。
死なないので、抵抗することにした。Daze効果を発揮するウォリアーのスキルを使用し、相手が行動不能に陥っているのをよそ目に、お薬を飲んで、釣竿を武器に持ち替る。距離を取ってチャージ、ジャンプで離脱してチャージ。普段はうまく使えないテクニックが、その時はうまく使えた。脳内麻薬分泌によって、プレイヤーがドーピングされたのかもしれない。そのときだけ、コスモが目覚めたのかもしれない。FurryなTwo-Handed両手もちスタイルで、ほぼ一方的にボコった。勝利して釣りを再開する。視野を広めにとって全周警戒していたところ、Pallyが装備を拾いに来た。まだやるか? という意思表示にキャラの向きを変えたら、相手がびくっと反応した。そのまま監視、相手はすごすごという様子で装備を回収して去った。
PvPには勝利したが、釣り大会に入賞するどころではなかったから、相手の勝ちかもしれない。

そんなことを、対シャルティア戦は思い出させてくれた。
この作品を好む大きな理由は、自己の体験が投影できることにあると思う。あと、アンデッド好きという個人的嗜好にフィットするところ。

とはいえ、好きなところとそうでないところが入り交じり、ちょっと微妙でも好きという評価である。アニメで入ったせいかもしれない。一つは説明不足というか、事情がよくわからないところとか、解釈に困るところがあること。もう一つは作品の個性か近年の風潮か、脇の描写が長すぎること。

前者の例の一つがコキュートス。キャラは嫌いではない。設定の矛盾と感じられたものがどうにも飲み込めなかった。
『階層守護者』と『武人』というキーワードから当初想起させられたのは、戦上手である。ところが、対リザードマン戦ではそのような印象が覆される描写がなされたのに、その理由についてはあいまいに感じられた。アニメでもアインズの意図はわかったが、『階層守護者』と『武人』という言葉に対する描写の矛盾は理解できなかった。『武人』だけだったなら、そうは思わなかったかもしれない。『階層守護者』という立場には必ずしも指揮能力を伴うものではないという説明があればよかったのかもしれない。アルベドデミウルゴスと同等という描写がよくなかったのかもしれない。
ともあれ、小説の描写でどのような「設定」がなされているかなんとなく見えて解消されるまでは、とてももやもやする箇所だった。個として強く、力押しはできるが、戦略、戦術は嗜まない。そういう『武人』だったと理解するまでは。

後者については、王国側の人々というか、非アインズサイド全般。俺はアインズの蹂躙が見てえんだよ。パンピー邪魔なんだよ。ってカンジ? 蹂躙される側の描写、事情があるから、蹂躙がいっそう映えるのだろうという意図は理解しつつも、多くのページを費やすほどの描写は不要であると思うのである。一章でも多い。あんなに分厚い本なのに、という思いがある。
本作品に限ったことでなく、近年の作品は、小説、漫画とも描写過多で、どうでもいいシーン、大ゴマ、中身のない大見得が多すぎる。話を省略せず、いちいち描くというのは、嗜好なのかテクニック不足なのかというと、後者に感じられる。本作品については大見得がないのは好評価だ。アインズの決め台詞が相当するが、抑制されていてとてもよい。
5~6巻は著者にもストレスだったのだろうか。7巻のキレっぷりから、そんなことを思わなくもない。

これまで『オーバーロード』原作小説に手を出してこなかった大きな理由は、アニメ三期まで見て、終わらない作品だと感じられたことが大きい。プレイヤーとの遭遇、世界の謎を解くなどの展開はあるにせよ、なんらかの終着点に辿り着く気配がまるで見えない。
終わらない作品は嫌いである。よく終わってこそ作品だと思う。今面白ければ良いという主義は、作品を腐らせる毒である。ファンレターという毒、人気という毒がいかに作品をゆがませるか。だから、連載作品はほとんど読まなくなってしまった。

かつて好きだった作品をけなすのは自己の否定だという。アホか。大河ファンタジー小説で始まったものが20巻あたりからホモ小説になってしまって愛し続けられるものか。看板変えるならスピンオフか別のでやれ。本編終わらせてからな。

ということがないように、祈るばかりである。