でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

ロード・エルメロイII世の事件簿 1「case.剥離城アドラ」

ロード・エルメロイII世というキャラクターを知ったのはFGOで、当時バスター至上主義者だったnoobは、フレンドサポートに並んでいてくれることの稀有な価値も知らずにいた。試しに使って、攻撃宝具でないことにがっかりもした。FGOのギミックが加速度的に課金者向けになっていくにつれ、その価値を認め、孔明を渇望するようになるのはもうしばらく後のこと。マーリンに遅れること一年半で、孔明を迎えた。

その後、アニメ版Zeroを見て、ウェイバー・ベルベットを知る。ロード・エルメロイII世が再臨するとウェイバー・ベルベットになることは察していて、その理由がふと気になって本作品に出会った――逆かもしれない。ウェイバー・ベルベットになる理由を知り、Zeroに至ったのかもしれない。
ともかく、ウェイバー・ベルベットにはあまり好ましい印象を得られなかったが、ロード・エルメロイII世としての人生につながるなら肯定できる。そんな印象を持った。

アニメ版事件簿を見て、小説に手を出そうか迷い始めた。楽しめたアニメ作品が原作小説で楽しめないことが続いて、だいぶナイーブになっている。
不安に対し興味がついに勝ち、一気に読了。

楽しめたかといえば肯定だが、全肯定はできない。そんな感想がある。

本作品の文章には、大きく四つの成分が感じられる。
その分類が適切かすべてを満たしているかはさておき、それらに名付けるなら「魔術」「ミステリー」「菊地秀行的超伝奇文体」「グレイが活躍するシーンの文体」である。
「魔術」については、少年時代にカバラを扱った書籍を読んだ経験から、うん、そうだよね、そんなカンジと肯定できる。「ミステリー」というジャンルは楽しめない体質だが、本作品のそれは肯定的にとらえられている。基本的にミステリー作品はアホらしいと感じられてしまって、本作品のオチもまあ嫌いな方だが、ホワイダニットを強調する作風はそんな性癖の持ち主に安定剤として機能するようだ。
おそらくは、だが。著者が最も書きたいか、オマージュ的に避けられないという理由で一部に採用されている「菊地秀行的超伝奇文体」はあまりうまく機能していないと感じられ、この部分について大きな不満がある。この成分はむしろナシにしてもよいのではないだろうか。「グレイが活躍するシーンの文体」でよいのではないだろうか。
そんな風に感じている。

本作品を読んでアニメ版と異なる印象を得たのはグレイで、「頭悪い」が執拗に強調されていることと、「アニメ版ほどうぶなかんじではない」ことが感じられる。残念さを強調したい、あどけなく無害に見えても内心で何を考えているのか伺い知ることはできない、クライマックスの凛々しさを強調したい。そんなことを読み取ったが、意図したことかどうかはわからない。

続刊に手を出すのに若干のためらいもあるが、きっと読むことになるだろう。