PSYCHO-PASS サイコパス
三期の広告がTwitterに流れてきて興味を覚えた。「サイコ」というキーワードだけで避けていたが、『羊たちの沈黙』的なサイコものではなかった。
カエル顔のヒロインが有能かわいい。
近頃、視聴するにあたって第一話で引き込まれることは珍しくなってしまったが、本作品には物語の魅せ方について教えてもらったような気がする。
かつて『ヤング・ガン』に触発されて『Wares Blade』を利用した西部劇をやろうとしたのは、劇中で表現された銃の威力が「ちょうどよい」と思えたからだった。当時、想像上であろうと、銃のリアリティをゲーム中に投影しようと思えば、その威力は強すぎてコントロールが難しいと感じていたが、便所に立てこもるオヤジとのアクションシーンを見て、これならいけそうだと感じたのである。結果はというと、『Wares Blade』は判定がめんどくさい部類に入るシステムであることに加え、弱装弾では泥仕合になるとわかって二度はやらなかった。
さて、アニメのガンアクションというと、主人公サイドは演出でしかヒットしないが、そうでない側は一撃必殺されるさまがとても嫌で、そういう方向性の作品はそれだけで評価が下がる。本作品はそういう演出を避けているように見受けられ、好印象である。負傷の演出もただの記号ではなかったように見えて好ましい。
視聴を終えて、普段全く念頭に上ることのない『Phantom -PHANTOM OF INFERNO-』が脳裏をよぎった。同作品が虚淵玄のシナリオであることは今回初めて意識したのだが、というのも本作品のエンディングのありように想起させられたからであろう。
ともあれ、引き続き、セカンドシーズンを視聴しようと思う。
追記:
二期を四話冒頭まで見た。三話まで頑張ったが、四話でもうくじけた。供養のため、その主だった理由を記す。
- 有能な人物を表現するために、周囲を間抜けに描く
- 賢しげで意味深なふうを装っているが、セリフがとにかく虚ろに響く
以下に示す一期の良いところが反転している印象。
- 皆それなりに有能であり、際立って有能な人物、努力しているが残念なことに足りない人物、特異な人物などとして描き分けられていた
- セリフにはやや嫌味なきらいもあったが、パズルのピースのように気配られた美しさがあった
当方、SACを嫌っているのだが、理由が共通する。SACは押井守を模倣しようとして虚飾でなんとかしようとしている印象だった。本作品もまた一期の風合いをなんとか取り入れようとして、成功しているっぽい海外ドラマの手法を使用した印象である。
制作側に、当方向けとなるには致命的な不足があるということか。
三期は見ない。