でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

創聖のアクエリオン

十ン年振り、二度目の視聴。
一度目は合体イカす、合体馬鹿みてえ、月まで駆け登るドリブルワロス。そんなことしか感じなかった。クライマックスとエンディングにむけて萎えたことも忘れていた。

ダーリン・イン・ザ・フランキス』で、「この物語でこのロボット」と言ってしまったからには、この作品にも同じことを言わねばなるまい。
武者と騎士、あと三号機。そんなコンセプトの主役機は、ムー大陸と対照させるアトランティスをモチーフとしたであろうアトランディアを討つ意匠として適格であったかというと、違和感を覚えるというのが今の印象だ。
本作品は過去の多くの作品にオマージュを捧げているが、最も際立つ要素の一つであろうライディーンと対照すると、そんなことを思ってしまう。ゲッター要素はまあ、成功してるんじゃないでしょうか。

壮大なテーマで馬鹿をやるというのは河森作品の最大の特徴で、細かいことはどうでもよくなるのだが、『マクロスF』で見せたような不完全燃焼っぷり、シェリルがめんどくさすぎて、アルトのめんどくささを表現しきれなかったあの物語を経てしまうと、本作品の主人公として配置されたアポロという少年のありようもまた違うものに見えてくる。

物語であるからには全て作り手の思うがままであらねばならぬが、だとしても人物については物語の中で生きているという印象は読み手に与えられるべきであろう。暴れん坊の馬鹿を主役に配するのもまた河森作品の特徴といえるかもしれないが、馬鹿が馬鹿のまま突っ走らせれば物語の制御は困難である。
一度目の視聴では正直どうでもよかったのだが、二度目となる今回は、アポロという個性について、人格というよりは物語の都合によって玉虫色に光らせられる存在としてしか見えなくなってしまった。

『創聖のシュトロハイム』が不意に脳内で再生されてしまい、それが再視聴の動機となったわけだが、上記のようなチラ裏を書き散らさねばいられなくなったとしても存分に楽しめたし、2004年ごろは2クール使って無駄話(とはいえ、そういうエピソードにこそ重要なワードが挿入される)もできる余裕があったのだなと感じることもできた。