でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

死体は嘘をつかない

プロローグ的な序章と、続く著者来歴の章はアメリカンなマッチョってカンジではずれを引いたかなという印象がある。
三章、四章で読み進められそうな希望を抱き、五章で面白くなった。

本書は、検死結果が法の裁きにおいて絶対の証拠にはならないという事例集である。その背景となるものについて、やや熱く語られている。

アメリカには二種類の検死制度が存在し、一方は二百年前から続いている検死官制度で、医師免許が不要であり、地方の田舎町などでは葬儀屋が兼ねることもあるとか。
他方は検死医で、学位を取得した後に数年間の修業期間的なものが必要となるらしい。
検死官制度は廃止されつつあるが、いまだに多くの自治体で残っているらしい。

さまざまな国々で死刑廃止が実践された背景に、陪審員制度があるのではないかとふと思った。
陪審員は、おそらく大多数は法的な判断について素人で、下す判決は、並べられた証拠や、検事、弁護士のパフォーマンスに左右される。あと感情とその場の雰囲気?

間違った判決を出してしまった場合、責任は国民の負うところともなる。被告が生存しているならば間違った判断に対するある程度の補償もできようが、死刑執行後ではそれもままならないがゆえに。負いたくもない心の負債を負わなくて済むようにという、どちらかというとアレな感情から始まってるような気がする。それを美辞麗句で包装してマウンティングしてるカンジ?
一方で、アメリカでは刑務所満員なのでいろいろ法的詭弁を設けて定期的に殺人犯をリリースしちゃってる現状があると本書は語っている。

わけわかんね。

余談だが、昨今話題になった国内の死刑執行については、改元による恩赦が念頭にあったのではないかと感じている。

死体は嘘をつかない (全米トップ検死医が語る死と真実)
ヴィンセント・ディ・マイオ ロン・フランセル
東京創元社
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