読物 『日本デジタルゲーム産業史』
ネットゲームでのプレイヤーの嗜好性について分類したものとして、リチャード・バートル(Richard Bartle)の4分類がある。これはプレイヤーの嗜好をPlayer(他のプレイヤー)―World(ゲーム世界)とAction(自ら行動することを重視する)―Interacting(他のプレイヤーとともに行動することを重視する)の2つの軸で分け、それぞれの象限に入るプレイヤーのタイプを以下のように名付けたものである。
- Achiever(Acting & World):自分で何かを達成することを目的とするプレイヤー。非オンラインゲームにおける、従来型のRPGやアドベンチャーゲームのプレイヤーの動機に近い。
- Killer(Acting & Player):他のプレイヤーを倒すことを目的とするプレイヤー。既存のゲームでは、対戦格闘ゲームのプレイヤーの動機に近い。
- Socializer(Interacting & Player):他のプレイヤーとの交流を重視するプレイヤー。既存のゲームではほとんどなかった領域。
- Exploer(Interacting & World):他のプレイヤーと何かを成し遂げることを重視するプレイヤー。
~本書P.341より
マンチキンテキスト
テーブルトークRPGのプレイスタイルの分類の1つに「munchkin.txt(マンチキンテキスト)」と呼ばれるものがある。
マンチキンテキストは、1983年にSandy PetersenがJeff Okamotoへ伝えたアイデアが元であり、1985年にJeff OkamotoがまずUSENETへ区分の1つであるリアルマンを投稿したことが始まりである。
このマンチキンテキストによると、テーブルトークRPGのプレイヤーは以下の4通りに分類される。
- リアルマン(The Real Man)
- 戦闘好きなプレイヤー。その中でも、小難しい戦術や戦略など考えずに真正面から敵と殴りあうのが好きなタイプをリアルマンと呼ぶ。日本語で言うなら「突撃バカ」。
- Real Manとは英語で「真の漢(おとこ)」のようなニュアンスを持つ言葉であり、いわゆる「マッチョ」と同じような意味。マンチキンテキストでの言葉の使われ方としては、勇敢さや誠実さと同時に愚鈍さや不器用さも暗として示している。
- リアル・ロールプレイヤー(The Real Roleplayer)
- 自分のプレイヤーキャラクター(PC)の緻密な描写に凝るタイプのプレイヤー。不利になってでも、そのキャラクターの設定に即した行動をキャラクターにとらせようとすることが多い。
- ルーニー(The Loonie)
- とにかく場を笑わせようと、受けを狙う行動ばかりを自分のPCにさせるプレイヤー。特にカートゥーン的なユーモアを好む。
- マンチキン(The Munchkin)
- 自分のPCが有利になるように周囲にワガママをがなりたてる、聞き分けのない子供のようなプレイヤー。『オズの魔法使い』シリーズに登場する小人国およびその住人の名に由来している。
アメリカのゲーマーたちの間では、この4分類は深いうなずきをもって共感され、現在でも非常に有名なものとなっている。 特に「マンチキン」はアメリカ人のゲーマーにとっては馴染み深い存在として愛され、マンチキンをテーマにしたテーブルトークRPGやカードゲームも発売されている。
~Wikipediaより
それ以前のこととしては、全国的に平均的な小学生のありようとして駄菓子屋においてある1プレイ10円とか50円とかのゲームを遊んでいた。バンダイのゲームウォッチを一つ買ってもらったが、電子ゲームはそれきりだったと思う。おもちゃをねだるのが下手で、泣いて暴れてほしいものを手に入れる弟の才能に羨望を覚えたものである。
そんな視点からみると、1980年代中盤頃の本書における記述と自身の経験に違和感を覚える。詳述することはできないが、おそらく本書はコンシューマ視点で記されたものであり、自身の体験はどちらかというとPCユーザであった視点でモノを見ていたためであろうと思われる。当時の読物で語るならログインやベーマガやテクポリやコンプティークやBeepなどを読み、ファミ通は読んでいなかったということになる。
本文は論文的な書き方をされているが、難読ではない。個人的には3章あたりまでダルくて仕方なかったが、体験してきた出来事が登場するにつれそれも失せた。
文調に対するネガティブな印象としては、おそらく脱稿から出版までの間が短かったのだろうが、誤字脱字がわりとあることだ。論文調なのでそれがより目立つ。『フューチャーフォン』と記した数ページ後に『フィーチャーフォン』と記されてたり。
楽しめたが、自身が体験した時代のことでありながら、個人的な経歴から傍観者的立場となってしまい、ノれないというところ。
ちょっとアングラな80年代PCゲーム史的な文書はないものか。Magic CopyとかWizard88とかいうキーワードが登場するような。
そんな視点からみると、1980年代中盤頃の本書における記述と自身の経験に違和感を覚える。詳述することはできないが、おそらく本書はコンシューマ視点で記されたものであり、自身の体験はどちらかというとPCユーザであった視点でモノを見ていたためであろうと思われる。当時の読物で語るならログインやベーマガやテクポリやコンプティークやBeepなどを読み、ファミ通は読んでいなかったということになる。
本文は論文的な書き方をされているが、難読ではない。個人的には3章あたりまでダルくて仕方なかったが、体験してきた出来事が登場するにつれそれも失せた。
文調に対するネガティブな印象としては、おそらく脱稿から出版までの間が短かったのだろうが、誤字脱字がわりとあることだ。論文調なのでそれがより目立つ。『フューチャーフォン』と記した数ページ後に『フィーチャーフォン』と記されてたり。
楽しめたが、自身が体験した時代のことでありながら、個人的な経歴から傍観者的立場となってしまい、ノれないというところ。
ちょっとアングラな80年代PCゲーム史的な文書はないものか。Magic CopyとかWizard88とかいうキーワードが登場するような。
日本デジタルゲーム産業史: ファミコン以前からスマホゲームまで
posted with amazlet at 16.11.25