でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『仮面ライダー 1971-1973』

仮面ライダーに強い思い入れはない。

子供の頃にはオンエアされたものを見ていたが、それもストロンガーまでで、スカイライダーやスーパー1はまともに見ていない。ブラックはそこそこ熱心に見たが、RXは見なかった。

思い入れはないが、仮面ライダーに求める様式美というようなものはもっていて、これはウルトラマンに対しても同様である。思い入れがあるぶん、ウルトラマンに対しては拒絶反応が強く出ているかもしれない。

公式の産物が我が個人的な様式美と相反するとなれば退くしかなく、ゆえに現在は関知するところではなくなった。

かようなわけで、本書のようなタイトルのものには微妙に心惹かれつつも手を出しかねるというスタンスを取る。近頃だと『人造人間キカイダ―』の小説でとてもひどい目にあっており、そんなことがあればなおさらに。

本書の場合は存在を知ったのが近頃のことで、手を出すべきかどうか占うためちょっとだけ調べてみる気になり、〈S.M.R.〉というコトバに強い興味を覚えた。仮面ライダー世界には未出現のコトバと覚えるが、我が様式美にマッチしたことになる。

そもそも仮面ライダースペシャルな存在ではなく、量産型のバッタ男にすぎないことは明示されている。一方で、仮面でライダーってなんか意味あんのかっていうソボクなギモンはずっと解決できなかった悩みだ。

〈S.M.R.〉というコトバは、公式設定と口に出してはならないお約束を最適に結合した観がある。

物語としては、トーキョーNOVAに例えるならクロマクが大いに活躍してしまったキライがあるが、都合よく苦戦に陥るヒーローではないカンジでとてもよい。

ライダーはとても強く描写されているし、そうでありながらに苦戦する様、失敗する様を受けいれるのに読み手である自分をだます必要がない。蛮人コナンを避ける風潮が等身大ヒーローの流行りとなり、当節ではグジグジウダウダ悩むのがヒーローとなってしまったように思われるが、好みの範囲にうまくおさまっている。

1971~1973年を舞台としているが、当時の時事ネタがまたいい味を出していて、陰謀論を楽しむ向きにも、そうではないむきにも楽しめるようにできていると感じられた。世界がなんらかの動揺を起こすのはショッカーの陰謀だとする風にも読めるし、ショッカーが存在しようが、本郷猛がそれに立ち向かおうが、それとは無縁に世間はよくもなれば悪くもなるとも読める。

リメイク作品を嫌うことがあるとして、それはオリジナル作品に対する愛の欠如を感じたときにおこる。オリジナルを否定するようなリメイクになろうとも、作品に対する愛があれば、ファンは理解するものだ。これは愛に満ちたに作品だ。

大ゴマ展開なので終わったら読もうに分類してしまったが、昨今見知った中では、愛を感じる作品として『ULTRAMAN』が特筆できようというのは余談である。

V3からストロンガーまでの構想ないしは本作品的解釈も作品中にさりげなく描写され、もっと続きを読んでみたかったと思わせつつも、第三部みたいな展開すなわち石ノ森的お約束になってしまうようならばこのくらいの尺がちょうどよかったのかなと思わなくもない。

最後に、著者名、どこかで見知ったような気がしていたが、過去にDisってしまっていた方だった。

DT小説の著者として、おそらくゲーム制作側からオファーされたのではないかと、遅まきながら意味もなく勘繰ってみたり。