でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』

小学生の頃、プロレスブーム、カンフーブームというものが確かにあったが、人並みにジャッキー・チェンの映画を鑑賞したくらいで、特に強い関心を持つことはなかった。ぽつり、ぽつりとみることはあっても、格闘技を鑑賞する習慣は現在に至るも身についていない。

柔道、空手、プロレスをに対して無関心な我が身がなぜ木村政彦という柔道家に興味を覚えたかといえば、昭和というものを知る上でどうにも避けて通れない人物の一人であるからといえば大げさだが、間違いなくそうである力道山と密接な関係をもっているからといえばそうでもない。

本書では『東京アンダーグラウンド』で語られているような力道山の人物像を補強するかのような描写がなされている。

さておき、木村政彦という人物に対する印象は、柔道家、木村の前に木村なく、プロレスで力道山に敗れた男、キムラロックという単語をそれぞれバラバラに抱いていたのみで、統一的なものはなかった。

柔道は門外漢であるし、プロレスならブックがあるだろうと思っていたし、総合格闘技はなんだかあまり好きではない。そんな理由によるのだろうが、どうでもいいことである。

なにがいいたいかというと、そんな立場にあるものが読んでも面白いということだ。

この本はレクイエムである。誰のかといえば、著者のそれである。

木村という柔道の神が、力道山というプロレスの神に破れたとされる神話の、その実像に触れんとしたものである。プロレスの神ばかりに当たる光の中に隠されたものに迫り、その影においやられた柔道の神の相応な復権を願ったものである。

悔いというものは、どんなかたちにせよ精算されねばならない。

十年を超える調査と、四年を超える連載は、確かな成果として結実した。

あまり好きな言葉ではないが、この言葉が本書にはふさわしい。

「この物語は、絶対に面白い」

次作は岩釣兼生のアングラ格闘技伝説であろうか。