でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

パワーヨガ体験

どうにも身体の具合がはかばかしくない。

事故の件がらみで医師に相談しているが、改善に至らない。

運動して身体が温まると具合がよくなるので、その部位固有の疾患ではなく、血行不良の類であろうと思われる。

もう二ヶ月近く、痛い毎日を過ごしている。たまに訪れる「具合のいいとき」は長続きしない。

住処のわりと近くにヨガスタジオっぽいのが存在していることは既知としていたが、それまで意識することはなかった。やってみるかと思い立って調べてみたら体験レッスンなるものがあるとわかり、サービスを利用してみることにする。

体験レッスンとして選択したパワーヨガとは、ブートキャンプのようなわりとハードなエクササイズだった。開始からのいくばくかを呼吸によるウォームアップに、終了までのいくばくかをリラクゼーションによるクールダウンに使用する以外は90分間動きっぱなしである。二日たって筋肉痛がないことから、それなりに見合った内容であると感じられるが、故障個所の痛みに耐えて行うにはハードすぎる。

初めてのこと、なにがなんだかわからないので、見よう見まねである。思い描いていたような「身体の使い方」のような指導はなかった。参加者のレベルも様々と見たが、動きの中で手の位置やらなにやらを指導されるものの、身体の使い方(伊藤式でいう、伸ばす・反らす、的な)を指導されているふうは見受けられなかった。

指導者は素人目にも参加者とはレベルの異なる身体運用を行っていて、それは目指すべきものとして納得がいくものであったが、そこに至るまで筋道だって指導されるのかどうか、体験レッスンでは印象を得られなかった。

身体の動きで実現すべきところを筋力で強引に行ってしまうなど、表面的に真似ただけでは、間違った身体運用を行うことにもなりかねない。それが意図せずして身体の不具合を誘発するかもしれないと感じるようになっている。

その辺に折り合いがつかないと、あえて参加する気にはなれない。

かような理由から、ソフトヨガという別のコースを体験して参加を決めようと考えていたのだが、問い合わせたところ、体験レッスンは全てのコースでただ一度きりということで、以降は受講者として選択するようは運びとなるようである。

果たして7200円かけるだけの価値のあるものかどうか、判断つきかねる。

他にヨガっぽいものといえば先に飛龍会の体験レッスンに参加した経験しかないが、双方ともに、習うより慣れろ式が共通している。前者は書籍による身体運用をある程度理解していることが前提とあったが、それを基本化しているような印象は受けなかった。「基本動作を行う時間」は取っているが、「基本動作をどのように行うかを説明・指導する時間」は取っていない。身体ができなければ、基本に達しないということなのだろうか。同意できる考えではあるが、非効率的である。あるいは弟子の選別を意図しているのだろうか。

基本というのは見た目は簡単なものだが、練度が如実に現われるものである。体力的なものを除外して、3級と同じレベルの基本しかできない黒帯は、存在してはならないのである。また、できることをわかっているとは限らない。そうできるからといって、どのようにできるか、なすべきか説明できるとは限らない。仕事と同じで、人というものは意外に、自分のやっていることを分かっていないものである。普段行っている業務をシステム化しようとしたとき、慣習的なフローを排除できないのは政治的な理由からだけではない。

伊藤昇先生が少林寺拳法やヨガから学び、流派に沿うのではなく、独自に流派を打ち立てた理由が分かるような気がする。いずれにも、なにかが欠けていると感じたのではなかろうか。

次は、職場の上長にすすめられた鳴らす整体に行ってみるとするか。