でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『反省』

佐藤 (前略)もし私が上司になって、嫉妬されている有能な部下がいたら、1冊の本を薦めます。コンラート・ローレンツというノーベル賞医学生理学賞を受賞した動物行動学者が書いた『ソロモンの指輪』という本です。
鈴木 ローレンツさんは、何と言ってますか?
佐藤 オオカミ同士がケンカになるでしょ。すると、負けそうなオオカミはお腹を出し首元を相手に差し出す。強いほうが、喉ぶえをガブリとやろうとする瞬間、歯がカチカチいうだけで、もう攻撃できなくなっちゃう。そういう仕組みがある。猛獣がお互いに叩き合って徹底的にケンカしたら全滅してしまうから、そうならない刷り込みが最初からなされているというんです。
 ところが「平和の象徴」のハト、ディズニーの「バンビ」で知られるシカなど優しい系統は、攻撃を抑制する仕組みがない。ハトのケンカで一方が気を抜いたら、これでもかこれでもかと攻撃して殺しちゃう。シカも角で突いて、相手の胴がグチャグチャになり、はらわたがはみ出しても止めない。一件大人しそうな草食の連中は、歯止めがないから、暴れ出したときは本当に怖いという話なんです。
鈴木 なるほど。外務省で佐藤さんはオオカミだったのかもしれないな。ハトやウサギやシカみたいに根性なしでおとなしそうな連中、あるいはクジャクみたいにハデなだけで弱そうな連中が、じつは非常に残酷きわまりなく、仲間を地獄に落とすまでやったわけか。

P.94


佐藤
 小寺さんは、外務官僚が世界でいちばんエラいと考えているが、実力がともなわない、外務省によくいる典型的な人物でしたね。そして、鈴木さんや東郷和彦欧亜局長に疎んじられていたことに腹を立てていた。もっとも、小寺さんの立場からすれば、腹を立てるのは当然です。ある日突然テレビニュースによって、鈴木さん、私、そして私たちのチームがモスクワにいることを知った
 その場合、なぜ自分が外されたのかを冷静に考えなくてはならない。鈴木さん、東郷さん、そして私が意地悪をしているわけじゃないんです。小寺さんが秘密を守ることができないから、こうせざるを得なかった。胸に手をあてて考えてみれば、小寺さん自身に思い当たる節があるはずです。カーッとしても抑えるのが男の子なんですが、小寺さんは違っていて逆恨みし、あちこちで嘘話を吹聴した。
 明らかに彼しか知らないことが載っている怪文書が外に出たときは、それをベースにして、築地方面の立派な新聞社の女性読者が多いらしい週刊誌の、とってもユニークなおじいちゃん記者が不思議な記事を書いた。これも数え切れない外務官僚絡みの愚劣なエピソードの一つです。だって、鈴木―イワノフ会談の情報から小寺さんを完全に外せと命じたのは当時の森喜朗首相で、鈴木さんや東郷さんはそれに従っていただけなんですからね。
鈴木 森先生は小寺さんの能力をまったく評価していませんでしたね。それにしても私にも反省すべき点があります。能力がないと直属の上司も、もっと上も、いちばん上の上司の総理大臣にまで判定されたら、普通はそうかと思って静かにしているもんだと思うんだけど、メチャクチャな嘘で反撃を始めた。男のヤキモチにもつながる話ですが、男が嫉妬の感情を抱くとああなるというのは、想定の範囲を超えていましたね。
佐藤 私は、小寺さんという人は、ちょっとかわいそうだと思うんです。首相にまで無能扱いされてしまって。東郷和彦さんはこう言うんです。「官僚には4通りある。それは第一が『能力があり意欲もある』、第二が『能力があるが意欲がない』、第三が『能力がないが意欲がある』、第四が『能力がなく意欲もない』のどれかだ。どれが最低かといえば、能力がなくて意欲があるヤツだ。小寺は普段は第四だが、ときどき第三になるので困る」と。救いようがない評価を下されていた。
 小寺さんを解任するときも東郷さんは、「きみは平時ならロシア課長が務まるが、今はたいへんな状況だ。君が努力したことはわかっているが、能力が及ばないんだ。だから、替わってもらう書類はすでに人事課長に出してある」と言った。小寺さんは「ウウウ・・・・・・」と、頭を抱えて座り込み、「佐藤が仕掛けたんですか!」と言ったそうです。私は東郷さんが「いや、佐藤君は関係ないよと、言っておいたよ」とサラリと言うのを聞いたけど、マズイなあと思いました。私にしてみれば迷惑千万な話ですよね(笑)。

P.124

鈴木 小寺さんが更迭されたとき、田中眞紀子さんが「鈴木宗男が人事に口をはさんだ。鈴木が飛ばした」と騒ぎましたが、私はなんらタッチしていないですよ。
 私は01年3月25日、イルクーツクから羽田に帰る政府専用機のなかで、小寺さんから「私、ロンドン公使の発令を受けました。イタリアに留学している娘の休みが1週間しかなく、家族で過ごすので東京では挨拶できません。この場で御挨拶させてください」と聞いて初めて、4月の人事で出るんだとわかったんですから。しかも、ロシア課長からロンドン大使館公使というのはエリートコースなんですからね。
佐藤 参事官なんだけど、同期で最初にローカル公使になった。将来の欧州局長、ロシア大使になる登竜門のコースです。東郷さんは、ズバズバ厳しいことを言うんだけれども、人事的にはたいへん優遇してトラブルが出ないようにしていたんです。
鈴木 それを田中さんは何を勘違いしたのか、鈴木に飛ばされたみたいに騒ぎ立てました。組織を知らないし流れを知らんもんですからね。小寺さんの例は、然るべき人が然るべきポストに就かないと、国力が落ち、国益を損なう好例だと思いますよ。

P.129

佐藤 ところであの文書を出したことは、「ロシアとはもう付き合いません」という日本国外務省のシグナルでもあったんですよ。ロシア人と非公開を前提に話したことを出した瞬間、むこうはもうノーサンキュー、日本とは話ができません、となってしまう。
 しかも会談相手はロシュコフさん。外務次官、6者会談の代表で、拉致問題に関して日本の立場に最も理解のある人です。その人をあたかも日本の敵であるかのごとく改竄した文書を作って共産党に流した者が外務省にいたんです。共産党を使い、外交交渉の積み重ねをムチャクチャにして国益を損ない、それでも鈴木宗男佐藤優を引きずり倒したかった外務官僚がいた。その動機は、次の項でさらに詳しく触れたいと思いますが、彼らの「自己保身」というなんともケチな了見だった。
鈴木 このことには、まさに言葉を失う思いですね。
佐藤 鈴木さんも私も、外務省がここまでやる組織とは、考えていなかった。これは私たちの現状認識と洞察力が不足していたと、深刻に反省しています。
 交渉が途切れたロシアとの関係が回復したのは、ようやく06年の秋になってからでした。外務事務次官の谷地正太郎さんたちの努力によってです。今年になっても谷地さんはロシアに行った。この外務省の負の遺産を精算できるのは、谷地正太郎さんぐらいしかいませんね。
鈴木 ところで川口順子外務大臣が国会で、「あれは改竄文書だ。正確な内容ではない」と言いました。川口さんが国会で間違っていないことを口にしたのは、この発言1回だけですよ(笑)。これ以外の川口さんの発言はすべて、なんらかの間違いか、まったく内容が含まれていないか、どちらかですね。
筆坂 当時われわれ日本共産党の追求では、外務省が謀略的に提供してきた内部文書のもつ比重は大きいものがあった。結果的には、外務省の思惑どおりの追求をやった面は否定できない。要するにわれわれは、外務省から聞く以外、何一つわからないわけですからね。丹念に政治献金を調べましたよ。ただ、鈴木さんの場合、5万円とか10万円とかが多い(笑)。合計してみても1年じゃどうにも少ないから、5年分とか10年分を足して、「何百万円も献金を受けている。これはおかしいじゃないか!」と。でも、よく考えれば1年あたりにすればたいしたことはない。そこは、追求のテクニックですからね。
 それはともかく、外務省というのは本当にひどい役所ですね。あの内部文書も本当に外務省の悪を糺すというものではなく、彼らの悪を隠すためだった。こんな重大な問題を放置しておいてはいけない。誰が内部文書を送りつけたのか、犯人を追及すべきだ。僕がおればやりますが、残念ながらもうバッジがありませんから、共産党もこういう本当の悪をこそ追求すべきですよ。

P.182

佐藤 竹内さんは「お国のために一生懸命やります」と言った。ここで注意しなければならないのは19世紀フランスの謀略外交官タレーランの言葉です。彼は「愛国心は悪人の最後の逃げ場」という言葉を残した。官僚が国のためとか国益をかけてなどと大きな声で言ったときは信用してはダメ。疑ってかかるに限りますよ。

P.188

鈴木 ついでに思い出したから話しておこう。西村六善さんという今の特命全権大使(地球環境問題担当)は、ある晩遅く私のところに「橋本総理に説明した内容を鈴木先生限りで説明したい」とやってきた。「この紙で今日の午後、総理に説明しました。この紙は大臣と総理しか持っていません」と言うんだけど、紙の隅に打ち出し時刻が22時何分と印字されている。私が「おかしいなあ。総理は本当にこの紙を見たのかなあ」と言っても、一向に気がつかない。「まあ、もういいから」と帰そうとすると、西村さんは「大臣、僕の目を見てください。これが嘘をつく男の目ですか」ときた。「これは・・・・・・嘘つきの目だな」と言ったら、この人は、やおら絨毯に屈み込んでアルマジロのように体を丸めて転がった。飯倉公館ではソファーだったけど、このときは床に丸まったから、私は本当に驚いたね。「あんた、大丈夫か。もういいから、帰りなさいよ」と言うしかなかった(笑)。

P.195

佐藤 私は外務省に入ってすぐ、変なところだなあと思いましたよ。当時の欧亜ソ連課は朝9時半始まりなのに全員10時半ぐらいに出てくる。午前中は新聞しか読んでいない。昼飯は2時間かけて食いに行く。午後になってから電話をかけ始めるんだけど、6時になるとビールの栓が開く音があちこちで聞こえる。それからウイスキーを開け、酔っぱらったところで文書を書く。それで、夜中の12時過ぎまで待ってタクシーで帰る。これは尋常な場所ではない、文化が違うなと最初のころに思いました。
 まあ、他の省庁も似たようなもので、霞が関全体が、なんでこんなに間延びした仕事をするのかなと不思議でした。でも、麻痺していくんですよ。それが当たり前になって行ったんです。

P.206

ローマ法王エリツィン元大統領の葬儀に、
要人を派遣しなかった大失態

佐藤 もう一つは「外交は人だ」ということです。もっと人脈を作らなければならない。
 たとえば、2005年4月にローマ法王ヨハネパウロ2世が亡くなった。4月8日の葬儀には世界から、アナン国連事務総長、ブッシュ米大統領夫妻、クリントン米大統領、父ブッシュ元米大統領シラク仏大統領、シュレーダー独首相、ブレア英首相、フィリップ英皇太子、チャンピ伊大統領、ベルルスコーニ伊首相、ハタミ・イラン大統領、アロヨ・フィリピン大統領といった要人が参列した。
 ところが日本からは、あろうことか総理補佐官の元外相・川口順子さんが行った。元首級のなかに補佐官級・最軽量の外相級って、ズレまくりすぎでしょ。ド顰蹙を買って、世界の笑い物だったじゃないですか。外務官僚は、その痛い経験をもう忘れているんです。ニワトリみたいに3歩歩いたら忘れちゃう。
鈴木 ロシアで初めて民主主義の手続きに則って選出された大統領だったエリツィンさんが07年4月23日に亡くなった。ロシア国葬は25日。プーチン大統領ゴルバチョフソ連大統領は当然として、クリントン米大統領、ブッシュ元米大統領、ケーラー独大統領、メージャー英元首相、韓明淑・前韓国首相あたりが来ていましたね。
佐藤 ソ連崩壊の過程で決定的に重要な役割を果たし、日ロ関係においても一時本気で北方領土問題を解決しようとした元ロシア大統領が亡くなったんですよ。ところが、日本からは誰も行かず、現地の斎藤泰雄駐在ロ大使が参列したと。考えられない大失態です。
 この人で感心するのは、韓国流の酒の飲み方の実演くらいですかね。趣味は月965万円の豪邸に住むことです。ソ連崩壊後、日本が送りこんだ最低のロシア大使だということを、私は自信をもって言えます。モスクワの日本大使館にロシア政治エリートが寄りつかないことも関係者のあいだでは有名だ。斎藤さんより能力、品性に劣る人物が過去にモスクワで勤務したことはないので、とりあえず空前であることは確か。絶後かどうかはわからない。外務省の現状を考えるとまたすごいのが出てくるかもしれないから。

北方領土を本当に動かす気があるなら、
安倍さんを出せばいい

鈴木 エリツィンさん逝去は23日の夜10時ごろにタス通信が流したわけですから、次の日の閣議で哀悼の意を表することだってできたはず。政府は、飛行機がなかっただの人がいなかっただのと、最初、言い訳してましたね。
佐藤 その嘘が鈴木さんの質問主位書に対する内閣の答弁書でバレてしまいましたね。じつは24日午後に外交ルートで国葬への招待があって、その日の昼のアエロフロート(ロシア航空)便に乗れば、葬儀に十分間に合ったのです。外務省がきちんとした態勢をとっていないからこういうことになるのです。
 私が現役のときは、いつも袋を作っていました。エリツィンさんが亡くなるということを前提に袋を作って、そのとき発表する予定稿、過去の履歴、日本に関する主要な発言、内閣総理大臣が葬儀委員長に出す親書、日本の特使のスピーチ案などを入れていた。これを半年に1回ぐらいチェックし、シミュレーションを重ねては更新していたんです。こういうものを、現在の外務省は作っていないと思う。
 外交の世界で、能力が劣ることは国益を毀損する犯罪です。罪名は「へたくそ罪」です。こんな外務省は使い物にならない。一方、官房長官塩崎恭久さんは、最初は商業便がなかったと説明したんですが、その後、便はあったけれども人選が間に合わなかったと説明し直した。
 いずれにせよ、日本がプーチン政権に対する不快感を示すために敢えてレベルの低すぎる斎藤を参列させたのなら、一応これは戦略的なわけ。しかし、そうではなくただボンヤリ、ポーッとしていたから、誰も参列させることができなかったというのは、恐ろしい話。これは「ぼんやり罪」です。「へたくそ罪」と「ぼんやり罪」で関係者を処分すべきです。
鈴木 佐藤さんが現役だったら、その封筒を開けて、どうしただろう?
佐藤 私なら、日本からの弔問団を出す。団長が、小渕恵三総理を外務大臣として支え、エリツィンさんとも面識があった高村正彦さんにする。そこに衆議院議員である橋本岳さん(橋本龍太郎元首相の次男)と小渕恵子さん(小渕恵三元首相の次女)に入ってもらう。亡くなっていなければ小渕恵三さんと橋本龍太郎さんでいいんですが。で、3人をロシアに出発させると同時に、モスクワでプーチン大統領と会談できるかどうか大至急探る。プーチン大統領と外国要人との会談予定が一つでも入っていれば、森喜朗さんに急遽飛んでもらい、会談を押し込む。
 エリツィンさんとプーチンさんのあいだは微妙なところがあるから、プーチンさんと会うことができる森さんのカードを初めから切るべきかどうかについて、私ならばちょっと躊躇します。いちばんいいのは、安倍晋三さんが行くことです。プーチン大統領も必ず会います。北方領土を本当に動かそうと思うんだったら、安倍さんを出せばいいんですよ。
鈴木 それはそうですね。最高のシグナルになる。それは最高の機会だと思う。チェルネンコさんが亡くなったとき、中曾根先生がすべての日程をキャンセルして行ったじゃないですか。
佐藤 中曾根さんは、葬儀委員長だったゴルバチョフさんと2回会っています。まあ、外務省には、いま鈴木さんと私がこうしたらどうかと話したようなことを首相にアドバイスできる人物がいない。普段から考えていないから、知恵も出ない。これは日本外交の危機の一側面だと思います。

P.239

鈴木 外務官僚も昔は、いや、外務省だけでなく中央官庁の役人というのは、明治から太平洋戦争の敗戦までは、1887(明治20)年の官吏服務規律が示しているように「天皇陛下天皇陛下ノ政府ニ対シ忠順勤勉ヲ主ト」する、名実ともに「天皇の官吏」だった。その任用は天皇の官制大権に基づいて勅令によって規律されておったし、文字どおり「お上」お代行者だったわけですね。これも明治の官吏服務規律に書いてあったことで、家族の商業従事の禁止、浪費や分不相応の負債の禁止など、官僚は厳格な倫理規制を受けていた。清貧に甘んじて国家のために義務を遂行するという伝統がありました。
佐藤 「吏道」なんて言ってね。戦後は、天皇の官吏から、たしか国民の官僚、つまり公僕になったはずだったんだけど、どんどんモラルが崩れていった。外務省においては、とっくに崩壊してしまった。だから、ここは役人性善説から役人性悪説に切り替える必要がある。
 根治療法にはならないけど、処方箋なしに今すぐできる対症療法でいちばん簡単な方法は、海外に出て数年たって帰国してくる外務相のヤツがいるでしょう。彼/彼女らを全員、税務調査すればいいと思うんです。それで、不当と思われる蓄財をしていれば、日本国民が普通に払っているのと同じ課税をきちんとする。
鈴木 在外手当というのは、税金がかかっていないんですからね。もちろん本給にはかかっていますけど。
佐藤 海外の任地で住む住宅の手当についても、これは1カ月あたり60~70万円、人によっては100万円以上出ていますが、これも税金がかかっていないんです。これは住宅に使えというカネですね。月何千円で暮らせるという国で何十万ももらえば、そりゃ余るでしょう。何に使ってもいい掴み金は、渡しきりの交際費です。パーティをやったり情報を取るためのカネも渡しているけど、使わないで貯め込む。それで、日本で家や別荘を買っているんです。信じられますか? 40代で家を4軒買ったと自慢本を書く外務省の人間がいる。
鈴木 清井美紀惠さんという、いまスイスの外交官ではナンバー2の公使ですよ。私は国会で彼女が書いた『女ひとり家四軒持つ中毒記』(スティルマン美紀惠著・マガジンハウス)を引用して質問をしました。そういう人については、ぜひ、税務調査をすればいい。
佐藤 税務署の職員だって、外務官僚の実態を知って、そりゃ頭にくるでしょうよ。同じ役人なのに、40代の税務署員で家を4軒買ったなんてのはいないでしょうから。税務調査をして、明らかに税金を払っていないのに家の所有に使われたカネが出て来たら、カチッと税金を取る。
鈴木 警察や検察がわれわれ政治家の事件をやるとき、最初に手を着けるのは国税ですよ。カネの流れを国税局に洗わせるんですね。だったら、公務員のこういった不正蓄財もきちんと調査して、法律に基づいてきちんと税金を払わせなくてはいかん。

P.250

佐藤 私は、現在のアジア・太平洋地域の外交は、19世紀後半から20世紀初めにかけての帝国主義の時代に、ものすごく近づいていると思います。「帝国主義」というのは、帝国主義支配とか帝国主義による侵略のように悪いイメージで使われてるけれど、ここでももう一度、帝国主義が登場してきた当時の言葉の意味に立ち返る必要があると思う。
 帝国主義は、ホブソンが『帝国主義論』(1902年)で指摘したように、商品を輸出して儲けるだけでなく、巨大な金融業者や投資階級が資本を輸出するかたちになる。これと植民地の拡大がリンクしていたんですね。だから、国の旗を立てた企業や国家が、自国のエゴを露骨に押し通す時代だった。その時代が、またやってきた。共通の敵だった共産主義の脅威が消えたから、各国が好き勝手にエゴをぶつけ合って、その場その場で折り合いをつけていく時代になっている。
鈴木 軍隊が出かけていって占領こそしないけれど、ヘッジファンドなんていいう金融資本が、一瞬のうちに国の金融証券市場を席巻してしまい、経済がガタガタになるなんてことも、東南アジアでありましたね。日本だって、長銀だのシーガイアだのがハゲタカファンドに買われちゃって、あそこだけ占領されたようなもんだ。

P.260

佐藤 いや、こちらとしても鈴木さんには、たいへんご迷惑をかけてしまいました。外務省のために先生を味方に引き込めと言われて、私はその任務を遂行しただけなんですけどね。ところが、「浮くも沈むも一緒だ。最後までよろしく頼む」と私の手を握って言った連中が、たしかに浮くときは一緒でしたが、沈むときだけは全然別個に行かせてもらうよと(笑)。これはすごいところだなあと感心するというか、呆れるというか。義理を欠く、人情も欠く、さらに、平気で恥までかく――義理、人情、恥という三つのものをカキながら平然と進む外務官僚たちの姿を見て、私は「もういいわ、この人たちと付き合うのは」と心底から思いましたね。ただし、この三つのものをかいたら、人間は強い。なんでもできるでしょう。人間として、全然好かれないと思いますが。
鈴木 佐藤さん、今のは名言ですよ。「外務省の官僚は義理を欠く。人情も欠く。恥までかく」と。三角関係じゃなくて、まさに「三カク官僚」だね。かつて道義や節を重んじた日本人は、いま、人としての道を失いかけている。義理人情を重んじるとか、恥を知るという日本人が、少なくなってきている。それは、外務省の役人にいちばん当てはまるんじゃないか。

P.264

第1章 国策捜査のカラクリ
 反省1 まさか検察があそこまでやるとは思いませんでした
 反省2 検察のずさんさは、まったく予想外でした
 反省3 裁判所がここまで検察ベッタリの偏向姿勢だとは、理解不足でした
 反省4 国家権力のメディア操作に、すっかり乗せられてしまいました
 反省5 メディアと外務省の黒い友情を、黙認しました

第2章 権力の罠
 反省6 権力のそばにいて、前しか見えませんでした
 反省7 男の嫉妬、ヤキモチに鈍感すぎました
 反省8 自分の力を過小評価して、声を上げなさすぎました
 反省9 歴代首相や組織トップから、重用されすぎました

第3章 外務省の嘘
 反省10 外務省の一部にある反ユダヤ主義に、足もとをすくわれました
 反省11 外務官僚の無能さが、私たちの理解を超えていました
 反省12 外務官僚のカネの汚さは、想像を絶するものでした
 反省13 非常識な賭け麻雀に、見て見ぬふりをしていました
 反省14 外務省の官僚たちのたかり行為に、素直に応じすぎました
 反省15 外務省が仕掛けた田中眞紀子さんとのケンカに、乗せられました
 反省16 共産党に外交秘密を流すほどの謀略能力は、予想していませんでした
 反省17 外務省にはびこる自己保身・無責任体制を見逃しました
 反省18 外務省を大いに応援し、不必要に守りすぎました

第4章 「死んだ麦」から芽生えるもの
 反省19 超大国アメリカという存在に、鈍感すぎました
 反省20 「二元外交」批判に、もっと毅然として反撃すべきでした
 反省21 日本外交の停滞を招き、国益を大きく損ねてしまいました
 反省22 これまで外務省改革の処方箋を、提示できませんでした
 反省23 日本外交の将来像について、あまり語ってきませんでした

第5章 見えてきたこと
 反省24 支持者、同僚、部下たちに多大な迷惑をかけました
 反省25 かけがえのない友に心配をかけてしまいました
 反省26 信じ続けてくれた家族に大変な苦労をかけました

ムネオハウス」がホットなキーワードだった頃には、まったく興味もなかった。
今頃になって、なんで?

たぶん、『平和の失速』から『同和と銀行 三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録』、『反転―闇社会の守護神と呼ばれて』を経て、『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』へと至るパスがあったからだろう。

例によって評価する術はなく、奇しなる縁を楽しむばかりである。
本書によって、『国家の罠』単独では読み取れなかった、「『鈴木宗男』と『佐藤優』の外交」もうっすらと読み取れるような気になれた。

大人になるということは、いろんなことにガッカリすることなんだろうと思いつつ。