でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『産霊山秘録(むすびのやまひろく)』

『銃・病原菌・鉄』では、文明の進歩には、技術を獲得することと同程度に、それが維持されることが重要であるとしている。獲得した技術を放棄してしまった例の一つとしてポリネシアの狩猟採集民たちと、日本を挙げている。
ポリネシア人はアジアから渡ってきたとされる。移住前後の風土の差異と人口密度の低さが技術の維持をなさしめなかったという。
後者については、日本の統一政権が、政権安定のために武器の携帯と発展を厳しく制限したことが、その後の歴史の転換――すなわち江戸幕府が黒船に対抗できるだけの技術・武力を有し得なかったいう歴史的事実につながったという。

半村良は、本能寺の変にひとかたならぬ思い入れがあったのだろうか。『戦国自衛隊』と本書と、多少の恣意はあったにせよ、個人的には無作為に着手した二つの作品が奇しくも同じ題材に関係していることが、そんなことを思わせる。

本書において織田信長は、朝鮮半島に商業の起点を設ける構想があったという。豊臣秀吉朝鮮出兵は、信長の意図を表面だけなぞらえた仕儀だとかなんとか。本書において、秀吉はとにかくひどい評価を下されている。
著者の言によれば「三百年生まれるのが早すぎた」信長は、西洋について造詣を深め、天下が日ノ本のみにあらずということを、知識だけではなく実感していた。それが天皇制打倒という発想につながり、明智光秀の造反を招いたという。天皇家尊重の思想は深く戦国武将らの心情に根ざしていたから、信長は、事に当たって重臣たちをも遠ざけた。光秀のことは、あまりにも深く信頼していたために計画の一翼を担わせる形となったが、これがどのような結果を招いたかは史実の通りである。
このとき家康は京周辺の遊山に出され、本国家臣団との連絡も絶たれていた。家康がこのとき三河にいれば、天下を取ったに違いないという。この機を得られず、関ヶ原まで待たねばならなかった家康は、必要以上に保守的になった。
『銃・病原菌・鉄』と対照するならば、それが鎖国をなさしめ、兵器技術の発展を阻害し、幕末という決定的な転換点を迎える要因となった。そういうことになる。

以上は本書の一部概略である。どの程度が著者の想像の産物であるのか不明だが、なかなか感慨深いものがある。
個人的には「戦後日本を語るには黒船来港から」と感じていたのだが、本書においては「現代日本を語るには天下布武から」ということになろうか。

マナが潤沢であった時代の、芳醇な物語といえよう。