でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

『激突! ラジコンロック』供養

小学生の頃、ラジコンブームというものがあった。
ラジコン漫画なんてものもあって、すがやみつるなんかも描いていたような記憶があるが、二十年の時を越え、数千冊の粛正を乗り越え、現在に至るも手元にコミックスが残っているものはこれだけだ。

作画者名義は『もろが卓』。幾つか単行本作品を残しているが、他の作品のことはよく覚えていない。大方、気に入った作品を書いた執筆者はフォローするものだが、そうではない場合もある。この場合、ある作品に対する激烈な愛情に比例しない執筆者への淡白さは、神矢みのるに対するものと似ているようだ。

しかしながら、この漫画家には、個人的に、他にない特筆すべき点がある。
漫画作品に対する冷徹な民主主義適用についてはうすうす察していたものの、漫画家の絶対性についてまだ疑いを知らなかった頃のこと、なんだか見かけなくなったなと思ったら、アスキーのコンピュータ情報誌?『ログイン』の編集者になっていた。『ログイン』は中学生の頃から購読していたような覚えがあるが、同誌の編集者である『ガスコン金矢』が同氏だということに気づいたのは同級生と「すてらのなばびご~ん」とかやっていた頃、高校生の頃だったと思う。
漫画家が何故、コンピュータ関係の雑誌編集者に転身したのか。それはずっと気になっていた疑問ではあったが、つい先頃までその理由を知らなかった。

さて、時々、唐突に同氏の消息および作品に関する情報に触れたくなる。
前回そうしたのはいつのことだったか、日記で見る限りでは2000年だか2003年のことらしい。とすれば今回は7年ぶりのこととなる。
Webで検索したら、本人のブログがヒットした。なんとココログである。7年前には見いだせなかった転身の事情も記されていた。要約すると、漫画家としてやっていくことに限界を感じまた、他に興味をもつものができたということらしい。その事情に絡めて才能について云々と綴っている。

才能云々について論じる根をもたぬ我が身ではあるが、同作品に対していまだ冷めやらぬ熱量を持ち続けていること立場としては、少なくとも『ハートロック1』に対してはそんなことはないと思う。というか、車両の絵はメチャメチャうまかったんじゃないかと思う。
個人的感傷はさておき、氏の自身に関する才能論は、一生の仕事として続けていくことに限界を感じたということに帰結している。

どうでもいいことだが、我が身が籍を置いた高校は芸術科目が選択で、音楽か書道か美術かのいずれかを選ぶことができた。中学の自主的卒業制作に紙粘土製麻雀牌を作成した我が身としては選ぶまでもないことであったがそれはさておき。
今思えば、高校の美術教師はリベラルな教育方針の持ち主であったのかもしれない。他に例を知らないのでなんだが、硬い発泡スチロールのような樹脂材を用いて四輪車の模型を作れという課題を出されたことがあった。
当時も今も四輪車にはまるで興味がなく、困った我が身は、セリカXXと『ハートロック1』と『ペガサスX』を足して30くらいで割ったようなシロモノをでっちあげた。出来はいいとはいえなかったが、ドアではなくキャノピーにして、開閉式にしたところが受けたようで、作例として講評を受けた。

黒田洋介氏が作成したというハートロック1の模型を見せつけられてそんなことを思い出し、久々に全9巻、耽溺した週末であった。

才能論のまとめとして述べられた「人生は思ったようにしかならない」という氏の言葉は、『辺境警備』過去花『天使のいない夜』を思い出させた。そういえば、『辺境警備』『グラン・ローヴァ物語』も再読のシーズンかもしれない。