2010年10月23日(土)
午前中はまだ、生気が残っているように見えた。
支度のため、父を葬儀屋に預けた。
自宅での納棺を希望したが、なんにしても一度、そうする必要があるという。
支度を済ませて帰ってきた遺体には、生気はかけらも残っていなかった。
夕刻より通夜。
長らく不義理をしていた従兄が来てくれた。祖母の葬儀以来十年ぶりか。従兄は二十年近く前に父を亡くしている。思わず、スイッチが入った。
なにからなにまでフォローしてくれたおじは、通夜振る舞いの席での挨拶文も準備してくれた。
だが、それは使用せず、自らの言葉を使うことを選んだ。
通夜ぶるまいに参席してくださった会葬者にお礼を述べて回った。お悔やみの言葉、挨拶へのコメントなどをいただく。年配のご婦人からは必ず「母を支えろ」との言葉をいただいた。
葬祭場の控え室は宿泊可能である。宿泊者がいない場合は、遺体は霊安室に安置されるという。宿泊して、最後の時を過ごすことを希望した。
夜半。
長い、長い二日間だったと、このとき初めて思う。
今日はやけに、時の経つのが早い。通夜を迎えてからは特に、いつの間にか過ぎ去っていた。
かわは しにますか やまは しにますか
便利なようで不便な施設の風呂につかりながら、さだまさしの歌詞が脳裏に浮かぶ。
自分で稼ぐようになり、一人前になったつもりでいた。そうではなかったということを、はっきりと思い知った。
人が神仏を求めるのは、絶対なる父を心に必要とするからなのだろう。