でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『コンサルタントの危ない流儀』

 陰鬱な冬のヨーロッパを後にして意気揚々たる筆者は、アジアの太陽の下にいた。気温三十度、湿度最高。

P.238

かつても今も、我が身が就業するギョーカイはいわゆるIT分野であり、クライアントが電器屋さんだろうと自動車屋さんだろうとそれはかわりない。独立愚連隊として活動することを現実的に考え始めたころは、自分の立ち位置は契約に応じて顧客にソフトウェア作成に関するスキルを提供する一種の傭兵であるという認識であり、いずれは(単価的に)そうなりたいと考えていても、その時点で自身がコンサルタントの一種でもあるとは考えてもみなかった。

我が身は、本書で語られるところの「IT野郎」ということになる。
著者は、我が身の印象では「エーギョー」ということになる。

我が身はお互い様という認識でいたのだが、当時の同僚はよく営業を非難していた。
非難の切り口は様々だが要約すると「無茶な仕事とってきやがって」的なものであり、自社の戦力および顧客要求の難易度を理解せず、ただノルマ達成のために仕事をこなすように見えた姿をして、そんな愚痴をこぼしていたのだろう。
本書では逆の立場からIT野郎を非難している。
クライアントとしては、IT野郎とエーギョーを足すか掛けるかしたような人材を求めるに違いないので、互いに非難しあうのは一種、同病相哀れむ的であるというか。
著者も、自身に足りない素養をある程度は自覚しているのであろうという印象である。

サービスプロバイダの末席を汚す視点からクライアントを見た場合。
クライアントは、相談を受けたほうが驚愕を覚えるほど、自身の業務がわかっていないことがある。正確には、日々の運用には差し支えないが、システム化を試みたときに差し障りがある程度に、理解していない。仕事を、いかに人間力で回しているかということになる。マニュアル化には是非があるが、是とするところものだ。
おおよそ、どんな仕事にもインプットとアウトプットが存在し、それを処理するプロセスが業務ということになる。顧客要求を整理していくと、どうみても省けそうなプロセスが発見されることがある。
プロセスの要不要を決定した時、後にそれが覆ることがある。まず間違いなく手遅れな状況においてそれは発生し、たいていはクライアント側の窓口レベルではOKだったものが、上司に報告してNGとなるケースである。NGの理由は「必要だから」の一点張りであることが少なくなく、クライアント独自の会社文化を背景とした慣習であることが少なくない。
会計ひとつにしてもそうで、慣習を廃すれば勘定奉行なり会計王なりで済むところが、ナニがアレするために既存のモノを使えないケースは、零細の小売業にすら見受けることができる。会計の一般化が進めば、確定申告も楽になるだろうになあ。
本書が語る期間は1970年代から30年間といっているから、我が経験とは数年ほどかぶるだろうか。著者は、「コンサルタントは常にカネのかかるオンリーワンシステムの導入を推し進めている」と断じているが、オンリーワンシステム導入の背景となる理由として、このようなクライアントの問題もあることを、我が身は経験としている。それを覆えす熱意を有してこそコンサルタントであると著者は語り、同意できるものではあるが、そのスタイルをヨーロッパ式で推進したところ、アジアで失敗したと述べている。常には成り難いことということになろう。

本書の主張はタイトルに凝縮されているが、コンサルタントのやり口を切るとともに、クライアントのありようをも語っている。
そして、業務の効率化・改善を売り物にするコンサルタントが、それらを自社の業務には適用できずに瀕死の状態に陥ってしまったことを語っている。

「おいおい、デイヴィッド、本当かい?」

と言い切れないのは、ギョーカイ的な雰囲気としてなんとなく察するところがあるからで、人間には二種類しかないという馳星周の、正確にはその作品に登場する人物の主張を、改めて思い出させられた次第である。