でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

読物 『柳生兵庫助』

津本陽という作家の作品は『薩南示現流』『人斬り剣奥義』『武神の階』『大谷光瑞の生涯』『明治撃剣会』『幕末剣客伝』と読んで、いずれもカタいという印象をもっていた。読みにくいということではなく、考証を第一義とする、という印象である。
ゆえに、本書にはいささか驚かされた。かつて「SF小説に萌えいれんなや」というキれ方を目にして、なにをそんなに目くじらを立てるのかと思ったものだが、本作にはそれと似たような感慨を抱くを禁じ得ない。ただし、ジャンルに対してではなく、作家に対して、だが。 無理しなさんなよ、というか、執筆時、念頭にあったのは吉川英治だったのだろうか、と思うを禁じ得ない。

 

かつて剣豪小説は、頭脳で咀嚼していたような気がする。
乏しい知識を糾合してはTRPGで実践するという、良くいえばイメージトレーニング、悪くいえば妄想をしか経験のない身の上としては、そうするしか術理を解釈する術がなかったのだろう。

たしなむようになって七年、かつて「習い覚えたこの技は、いざというとき使えるものなのか」と疑うしかなかった未熟者はいま、「いざというとき、行えるかもしれない」という程度の未熟者になりおおせている。手足に染み込みつつあるということなのだろう。

そのような変化を経て久々に読む剣豪小説は、かつてとは違った響き方をする。
頭脳ではなく、身の内にあるなにか芯のようなものに感応するとでもいえようか。

「鳥飼い」「間切り(ひきり)」という言葉は、特に響く。同書の言葉を借りれば、「刃引きを用いる一刀流の組太刀稽古が、ともすれば舞がごとく終始してしまう」こととともに、強く響く。

 

頭脳でのみ理解していた折、それを披露する機会があった。
関西在住のとき、当時まだ国内では学術分野にのみ公開されていたインターネットを通じて知り合った方々と、"Act wit Tarot"(AwT)という同人TRPGシステムを用いたセッションに参加した時のことである。

AwTでは、プレイヤーはアクターと呼称され、マスターはディレクターと呼称される。ディレクターは基本的にアクターの行為を良い方向に解釈し、ともに物語を作り上げていくというスタンスを持つ。アイテム獲得やレベルアップは、プレイヤーすなわちアクターの目的になり得ない。
悪しざまに解釈すればゴッコ遊びとなるが、ともすればマスターvsプレイヤーという図式に陥ってしまう可能性を孕んだ従来式のTRPGの一つの解決方法といえよう。とはいえ、GGという団体に所属していたことで既にその解決方法に辿りついていた我が身には、このプレイスタイルそのものには目新しいものはなかった。だが、システムがそれを推奨するということが当時としては珍しいものであった。
背景世界としては、スチームパンクをガジェットとした"Steam Britain"、現代にオーバーテクノロジーと魔法と超伝奇を加味した"Deamon Japan"、江戸期の日本に怪しげなテクノロジーを混入させた"Ethereal Japan(EJ)"などが有志によって作成された。
今振り返ってみれば、1990年代初頭のエンターテイメント、TRPGの流行を読み取ることができる。ギブスンや麻宮騎亜士郎正宗が余熱をもった時代であった。

AwTはロールプレイ重視――という概念もGGというサークルの外で初めて耳にした言葉であった。そうでない遊び方がTRPGにあるとは考えていなかった――であるが、同システムの語用をしてアクト、すなわちプレイすることがただのゴッコ遊びに陥らぬための工夫として、乱数要素となるタロットカードを用いていた。キャラクターメイクも、行為判定も、タロットカードを用いる。
ただし、キャラクターは能力値は持たず、身分と特殊能力、スキルのみがデータ的キャラクターを表現するすべてとなる。行為判定は、数値による達成度判定ではなく、行為の結果をタロットで占うというものである。

ともあれ、EJでAwTデビューを果たした我が身は、カードの導きによって幕末薩摩の武士を作成した。剣技に非常に高いスキルを獲得した我が分身は、導入にてチンピラ町人数名に絡まれるという事件に遭遇する。
当時の我が知識においても、剣技に精通するものは無手でもかなりの戦闘力を発揮するという認識を抱くに至っていた。そのような知識を糾合し、手刀などで軽くあしらったのだが、ディレクターにはそれが物足りなく感じられたのか、唐突に、その中の一人が柔道を身につけているということになる。
幕末に柔道が存在したかどうか、当時は知識をもっていなかった。また、幕末とはいえ、町人に軽んじられることは武士として士道不覚悟であるらしいという認識を有していた。

そのときのディレクターが格闘技に対して知識が絶無だったことはさておき、ひどく高い剣技スキルを有する我がキャラクターは、「柔道の心得のあるぽっと出の町人」風情にたやすく襟を許してしまう。行為判定はない。その「ぽっと出」が高位の柔道スキルを有しているwということで、そうなった。

「つかまれちゃったのかね?」

と、我が身が問えば、

「つかまれちゃったよ」

と、ディレクターは応じる。その「事実」を譲る気はないらしい。つまりは、相当できる奴であると、我が身は解釈した。

襟をつかんで、即座に背負い投げをするという。襟をたやすくつかませてしまったという「事態」には目をつぶっても、さすがにそれは許せない。仕方なく、「背負いをするというからには、相手は身を入れてくる必要がある。それを半身になってこらえ、抜かず柄頭で水月を打つよ」と行動宣言をした。そこで卓のメンバーが「おお」とどよめく。なんの気なしに、自然に口をついて出た、実現可能かどうかわからない格闘の所作表現が、それなりの感銘を与えたらしい。

ディレクターも感銘を受けたようで、「君、それをルールにしたまえ」とのたまう。

AwTのルールはあってなきがごとしものだったが、アクトの参考資料として背景世界(というか時代)の風俗やテクノロジーについて有志がテキストを作成していた。格闘術について、それを作れということらしい。

答えて曰く、「無理」

時代は、"GURPS Martial Arts"が発売される直前のことであった。
格闘ゲームと『ベルセルク』を筆頭とする漫画、いくばくかの時代小説とTRPGで培った「戦闘経験」のみが、当時の我が知識の全てだった。その程度の知識なら、ルールとやらができあがるのを待つより、各位が読むなりして精進する方が早い。それくらいの努力ができないなら、その方面においてTRPGでカッコつけようとすんな。当時はそんな風に考えていたように思う。

そもそも戦闘のバリエーションなどルール化するのが野暮というもので、シチュエーションとサイコロの目を読んで、それなりの演出を互いに交換する程度でないと、ゲームは回せない。濃いルールは、ゲームのプレイアビリティを著しく低減させる。余談だが、1990年終盤から2000年代のTRPGシステムは、そのような考えを念頭に、戦闘は軽く激しく楽しくなるよう、作られているようである。

そのあと、その「ぽっと出の町人」を斬ってしまい、セッションが思わぬ方向に転がってしまったことはさておき。

以上は、知識だけでもある程度のことはできることの一つの実体験であるが、格闘技術をある程度身につけた今なら、もっと別のアクション、別の結果を出すことができるに違いないと思う。
この小説が、かつての我が身にはなかった部分で感応したように。
たいていの小説は戦闘シーンなど斜め読みしてしまうのだが、本作品においてはわりと熱心に読ませられ、考えさせられた。至らぬ身ゆえ誤解の可能性もあるが、我が身が学ぶところの技術や概念に対するヒントがあったように思うのである。

以下、余談であるが。
このとき、AwT EJのディレクターを行った人物は院生であり女性で、「~かね」という話口調を有す眼鏡人であった。同じ時期、所属していたTRPGサークルには高校生だか高卒後無所属だかの女性がいたが、「ボク」口調であった。
未だ世に「萌え」という概念が登場する前の時代のことである。