でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

漫画 『釣りキチ三平』

唐突に読みたくなり、しかしその膨大なるに思うに任せず、一年くらいかけて、KCSP全37+1巻読了。

少年期に手を染めていながら趣味となりえなかったホビーはどれほどあるだろうか。
我が身にとって自らそれと認めるものは二つ、将棋と釣りである。

どうも、ゲーム規模に比してユニットの価値が大なるゲームは苦手らしい。将棋やチェス、碁、ディプロマシーなどがこれに当たる。ユニットの自由度が高い場合はこの限りではなく、戦闘級SLGトレーディングカードゲームなどは条件が対等ならば成績は悪くはなかろうと思われるが、運が悪い分負けているかもしれない。
要は、戦術や戦略に向いていないということになろう。将棋やチェスはその際たるものか、これまでに幾度か、上達を図ったが根気が持続せず成果はない。

釣りも同様である。
幼少の折、近所の汚い川にも平気で足を踏み入れることができるほどに胆力のあった頃、友人たちのブームに乗って釣りに手を染めたことがあった。友人がなかなかな鯉をヒットさせて、釣ってる最中は興奮これ極まったものの、釣り上げては、これどーすんの?的な思いを抱かされたことがある。近隣に手頃な釣り場所がなかったこともあってか、ローカルブームが去るとともに疎遠になった。
社会人になって一度、ツーリングキャンプの暇つぶしになるかとリトライしたが、第一投でえらいことになり、これはアカン、どうにも縁がないらしいとあきらめた。

だから、再読に駆られたのは、釣りという要素にではなく漫画という要素に魅かれたからであろう。
通読はしていなかったものの、一平じいちゃんの死で始まる最期のエピソードも知らぬではなく、中途半端な読者ではあったが、実に丁寧に書き込まれた背景とともに記憶に残るシーンが幾つかあり、再読して、ああ、ここが読みたかったんだなあという場面を見出すことができた。最大のものは一平じいちゃんの死である。実にいい顔で逝っている。

我がことであるが、同居していた父方の祖父は、苦しい死に方をした。
闘病は記憶にないが、肺癌で入院し、寒い時期のことで肺炎を併発し、末期は呼吸困難に陥ったと聞いている。自ら酸素吸入器を外し、逝ったとも。それは深夜のことで、小学生だった我が身は自宅で就寝していたが、逝く祖父の姿を夢に見て目覚めた記憶がある。
祖父がどんな顔で逝ったのか不明だが、通夜の顔は穏やかであった。

さておき、今回の通読で興味を抱かされた釣法が二つある。投網と、フライである。
投網はその体の運用に、フライもまた同様であるが、『A River Runs Through It』の影響も皆無ではあるまい。
とはいえ、清流が身近にない状況には変わりなく。

たがみよしひさの系譜は矢口―白土ラインなのかなあと思いを馳せつつ、キオクにあるよりも新右衛門さんではなかった魚紳さんや、脳内で自動再生される野沢雅子の悟空声に「まいったなや」と思わされたことは余談である。