でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

かくしてモスクワの夜はつくられ ジャズはトルコにもたらされた

 革命を契機とする国の変革が、無視無欲の平和的なものになるはずがなかった。レーニンいわく、あらたに権力の座についたプロレタリアートの使命は「盗人から盗め」だった。農民と労働者はこの言葉を額面通りに受けとり、都市でも農村でも、裕福な家や地所、企業、教会は一斉に没収され略奪されはじめた。国が行う接収と武装集団の強奪は区別がつかなかった。

P.195

 連合軍はトルコに居座るつもりでやって来た。広大なオスマン帝国を切り分ける合意はすでについており、トルコ人にはアナトリア高原の中心部だけを残し、鉱物と石油が豊富な領土は、誰がどこに住んでいるかはお構いなしに地図に線を引いて分割する予定だった。その影響は今日のイラクアラビア半島にまでおよび、このときの決定の結果はいまも国際社会で受け入れられている。

P.211

――一九二〇年四月、トルコ大国民議会によってすでに大統領に選出されていたケマルは、サカリヤ川の戦いでの勝利によって陸軍元帥に昇進し「ガーズィ」の称号を与えられた。「ガーズィ」とは、オスマン帝国の時代にさかのぼる名誉の称号で「異教徒と戦う戦士」という意味である。

P.249

 だが、コンスタンティノープルに存在したありとあらゆる娯楽のなかで最も奇妙奇天烈だったのは、ロシア人が発明した「ゴキブリレース」だろう。一九二一年四月、市内に賭場が広がるのを防止するために、連合軍当局は、ロシアの難民がペラのいたるところではじめた賭けゲーム「ロト」を禁止した。そこで、何かほかに飯の種になるものはないかあれこれ試したあとで、チャレンジ精神旺盛な何人かが、どこにでもいる昆虫を使ってレースをするのはどうかと思いついた。許可を求められたイギリス警察のトップは「真のスポーツマン」だったので、一も二もなくこれを承認した。明るく照らされた広いホールの中央に巨大なテーブルが据えられ、低い壁で仕切られたコースが卓上を覆った。「カファロドローム」(「カファール」はゴキブリという意味のフランス語)のオープンを知らせるポスターが地区全体に貼りだされると、客が押し寄せてきた。熱を帯びた目をぎらぎら輝かせる男たちも頬を真っ赤にした女たちも、テーブルを囲む全員が、黒光りする巨大なゴキブリを見て立ちすくんだ。ゴキブリにはそれぞれ名前があった。「ミシェル」「メチター(夢)」「トロツキー」「プラシャーイ(さらば)」「リュリュ」。レースの開始を告げる鐘が鳴ると、煙草の箱の「厩舎」から放たれたゴキブリたちが、針金製の小さな二輪車を引っ張って猛然と駆けだした。まばゆい光に仰天してその場に凍りつき、不安そうに触角を震わせて、応援する観客をがっかりさせるものもいた。ゴールにたどり着いたゴキブリのご褒美は干からびたケーキのかけらだった。パリ・ミュチュエル方式による配当が一〇〇トルコポンド(今日の貨幣価値に換算すると数千ドル)に達することもあった。最初のカファロドロームが大当たりすると、ペラとガラタのいたるところにライバルの「レース場」が出現し、噂はスタンブールやスクタリにまで広がった。ゴキブリレースを考えた者のなかにはたちまち大金持ちになり、パリで人生をやり直そうと考える者も現れた。金があれば偽造パスポートが買えた。だから、持ち運べる資産があって、連合軍警察に顔が知られていなければ、船に乗って逃げ出すことができたのだ。

P.266

 

 

この頃、本を読むにつけ思うことは、トミノ監督は中東付近の事物から名称を取得することがあるらしいということだ。ナカツ氏はヨーロッパ大陸側の地名を好んでいるらしいということも。

本書については大きく二点、感想がある。

ひとつは、面白いということ。興味深いということ。先進的であるとされてきた欧米諸国の差別構造について、こんな対照が記されている。アメリカでは南部出身の黒人に、ヨーロッパでは黒人であることで差別は受けないが、イギリスではインド人が、大陸ではユダヤ人であることが差別の対象となる。トルコではイスラム教徒かそうでないかだけが重要だった。

もうひとつは、タイトル詐欺であるということ。本書のタイトルから想起されるのは、先駆的出来事、人物である。後半はまあ良しとして、前半はいいすぎ。
アメリカ南部出身の黒人、両親の努力によって極貧ではない幼少時代を送り、その後、白人に騙されて資産を失い一家は離散に近い状態となり、本書の主人公であるフレデリックアメリカ各地を転々とし、ヨーロッパに渡った。フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアを経てロシアへ。仕事は給仕、ロシアに至る頃はフロア責任者的立場を任される手腕を身に着けていた。
ロシアにはすでに「夜」があったが、フレデリックは身に着けた手腕で先人たちの間に割り込み、名うての店を作り上げ、第一人者となる。だが、「夜をつくった」印象ではない。東京にも夜はあったが、ジュリアナが登場して有名になった、そんな印象だ。
フレデリックの数奇な流転の人生を読者として楽しむことができるとしても、邦題が瑕疵を与えていることは否めない。

ミヤザキワールド

 それでも、監督が生まれた年の日本は、うまく時運に乗っているように見えた。伝統的な制度や習慣を切り捨て、学校制度からステーキディナーに至るまで欧米のものと入れ替えることで、日本は近代化に成功した初めての非西欧国家となったのである。一九三〇年代後半までには、日本は世界中から尊敬と恐怖の念さえ抱かれている帝国を築き上げていた。こうしてついに、この国は、歴史学者ウィリアム・ロジャー・ルイスの言う「帝国を支配する白人専用のクラブ」への仲間入りを果たしたように思えた。そして、一九四一年一二月には、ハワイの真珠湾アメリカに対して劇的な軍事的勝利を収める。その際に、壊滅的な攻撃によってアメリカを震撼させた爆撃機の護衛を務めたのが、いわゆる「零戦零式艦上戦闘機)」として知られる驚異的な性能の戦闘機だった。

P.49

 アメリカの映画館で初めて『もののけ姫』を観た時、私はある友人と一緒だった。彼は宮崎の映画を観たことがなく、日本の文化やアニメにも接した経験がなかったが、大冒険活劇という触れ込みで、とくにアメリカではディズニー配給作品だったことも手伝って大いに興味をそそられていたようだった。ところが、映画を観ている最中に、友人は私をしきりに肘でつつき始めた。「誰がヒーローなの?」と彼は苛立った声で囁いた。「誰がヒーローで誰が悪役なのか、さっぱりわからないよ!」と言うので、私もこう囁き返さずにはいられなかった。「そこが肝心な点なのよ!」

P.283

 

 最初の引用は、『アメリカの鏡・日本』を思い出させる。
二つ目は、アニメ版トランスフォーマーについてのある説を。言わずもがなの場面で「さあ、戦いだ!」というナレーションが入るのは、アメリカ人はバカだから言わないとわからないという説だ。

宮崎駿を初めて意識したのはカリ城か漫画版ナウシカか。『未来少年コナン』はオンエアで見ていて好きな作品だったが、意識したのち、関係を知ったように思う。漫画版ナウシカは小学校か中学校時代の友人の影響で読み始めたように思う。

劇場版ナウシカにひどく失望し、それゆえか以後『もののけ姫』までジブリのアニメは映画館で見ることはなくなった。『もののけ姫』は別の理由で失望した。話は良いが、絵が好みではなくなったことである。好みとは主に顔の輪郭で、似たような症例は安彦良和たがみよしひさに見られる。症例――妙にしもぶくれになった氏の絵は、どうにも受け入れがたく、以後、また映画館で見ることはなくなった。

それでも、宮崎駿について時折思い出したように興味は覚える。覚えては失望する。近頃だと『風の帰る場所』がそれにあたり、一年以上も読み終えられずにいる。
失望しても、知りたいという欲求はあり、そこで本書を知った。

本書は、宮崎駿についててっとりばやく知るためには良い読み物であると思う。前述の理由から多くの作品について強い思い入れはなく、深い知識も持ち合わせていないため、本書の著者の主張に強い反発も大きな共感もなく概ねフラットな気持ちで読めたことがその理由と言えよう。唯一平常心を失ったのは、漫画版ナウシカについて割かれた章である。

著者は劇場版ナウシカを一つの完結した物語としてとらえているようだ。個人的には、当時連載済みの物語からキリの良いところで区切った未完成品、そのために話の筋を変えたまがいものという認識である。劇場版ナウシカは評価にすら値しないというスタンスである。

また、個人的には非常に優れた作品と感じている漫画版ナウシカについて、連載期間に生じた著者の心情の変化が作品に影響を及ぼしたことを述べている。ハッピーエンドといえなくもない劇場版と、ハッピーエンドとはあまりいえない漫画版を比較して、後者がそうであるのは著者の心情の変化によるとしている。
作家にはそういうことがあることは理解している。巨神兵だって最初はメカメカしてたし、連載するうちに構想が変化することも理解している。だが、まがいもので評価に値しない作品と比較されながらそのように論じられると、なんか、もやる。

上記のような個人的理由を例にして、宮崎作品に一つでも好きなものがあるなら、このような評伝は読むべきではないと警告する。どうしても他者の評価を望むのでなければ、読むべきではない。

そうでないならば、本書はとてもおすすめだ。なにかしら、もう一度見たくなるに違いない。個人的には、カリ城と『もののけ姫』、千と千尋を見返したくなった。

図解雑学ハプスブルク家

ハプスブルク家について俯瞰したいと思い立ち、適当と思えたので読んでみた。
ほとんど何も知らないので内容の確かさを云々することはできないが、目的を達成することはできたと思う。
本書の難をあげると、中盤あたりからおそらくは洒脱を狙った表現が散見するようになるが、筆が滑っているようにしか感じられなかったことだ。

ペインティッド・バード

ブンガクというものが嫌いになったのは、大学時代の教養科目であった英文学的な講座を選択した後のことだと思う。
小学校、中学校では国語は得意で、「作者の気持ちを云々」「登場人物の云々」というようなテスト問題にも正解を得られていたことはさておき、同講座で得られた学問的態度は、文学への解釈は権威が認めるマストな解釈があり、そこから逸脱することは異端であるというようなもので、文章を好きなように読むことができないブンガクというものに強い違和感と抵抗感を覚えたからだと思う。

文章そのものの美しさを愛でることは良い。隠喩を讃えることもよい。それに気づく人もいれば気づかない人もあろう。熱狂的な支持者がいるということで、萌えの先駆者といえる。問題は解釈に権威が生じたことで、決して文筆家とはいえない立場の者らがそれをかさに着るようになったことではないかと思う。

そして、ブンガクとラベリングされたものが作品として面白いわけでは決してないということが個人的には最も重要である。

本書は、物心つく前くらいの男子が主人公である。物語の終局で十二歳と明示されているが、開始時点で何歳であるのかは明示されていない。序盤は子供のように描写されており、そのように読める。だが、中盤に差し掛かる前から著者の忍耐が尽きたのか、初心を忘れたのか、子供の目線を想像することにつかれたのか、著者のアバターになりさがる。
物語作品は作者の創造物であるからして、全てを自由にする権利はある。だが、物語の中に神が登場して全てを見通す視線で物を語る作品が面白いことは稀である。

本書の最後に書かれている「この作品が作り出したムーブメント」はまあ、面白い。そのようなムーブメントがあったからこそ、ブンガク作品として分類されたのであろう。

スクエア・アンド・タワー

危険な野心は、政府の堅固さと効率を求める熱意の近寄り難い外見の下よりも、人民の権利を求める熱意のもっともらしい仮面の陰に隠れていることのほうが多いものだ。後者は前者よりも、専制政治の導入への、はるかに確実な道であると判明していること、そして、共和国の自由を覆した人々のうち、卑屈に人民のご機嫌を取って自らの経歴を歩みはじめた人がじつに多いことを、歴史は繰り返し教えてくれる。彼らは扇動政治家として出発し、ついには専制的支配者となるのだ。

 彼は1795年に、このテーマに戻っている。「国々の歴史をひもとくだけで見て取れるとおり、どの時代にもどの国も、不埒な野心に駆り立てられて、自分の栄達と重要性の増進に資するだろうと考えることなら何ひとつためらわない人間の存在に苦しめられる……共和国の中で、どこに置かれたものであれ偶像(権力)を依然として崇拝」し、人民の「弱点や悪徳、短所、偏見を利用し、こびへつらう扇動政治家、あるいは無法な扇動政治家の存在に」。

上巻 P.209

 ジョン・バカンの小説『三十九階段』(小西宏訳、創元推理文庫、1989年、他)では、「黒い石」という邪悪な組織が、「動員令下のイギリス本国防衛艦隊の配置」についてのイギリスの計画を探り出そうと画策する。(メモ:続編『緑のマント』)

上巻 P.270

 キッシンジャーは1950年代と60年代を通して、各大統領が「官僚に既成事実を突きつけられ、それを承認することも変更することも可能であるものの、そうした既成事実からは代案についての真剣な考察が排除されている」傾向を指弾した。「国内構造と外交政策」と題した1966年の論説では、政府官僚が「問題の関連諸要素を月並みな作業基準に落とし込もうと周到な努力をしている」と述べた。そのような行為は、「[官僚が]定石と定義しているやり方では課題の最も肝要な範囲に対処できない場合や、所定の行動様式が当該問題に不適切であると判明した」場合、厄介な問題となる。それに加えて、部門間の「官僚組織内の競争」が決定に至る唯一の手段となったり、官僚機構のさまざまな要素によって「一連の相互不可侵協定」が形成されて、「意思決定者が慈悲深い立憲君主に落ちぶれた」りする傾向もあった。外交政策にまつわる大統領演説に関して多くの人々が理解していないのは、そうした演説がたいてい「ワシントンにおける内部論争の解決」を意図したものであるという事実だと、キッシンジャーは主張した。
 彼は国家安全保障担当大統領補佐官の職を提示されるわずか数か月前の1968年春には、「アメリカの外交政策などというもの」は存在しないとまで言っている。「何らかの結果をもたらした一連の措置」が存在するだけで、その結果は「事前に計画されていたものではなかったかもしれず」、それに対して「国内外の研究機関や情報機関は、そもそも存在していない……合理性や一貫性を懸命に与えようとしているのだ」という。

下巻 P.146

 複雑さは安くない。それどころか恐ろしく高くつく。行政国家は、公共の「財」の量を増しながらもそれに見合った増税をしないという課題の、安直な解決法を見つけた。政府の現在の消費を借金によって賄うのだ。同時に、オバマ政権は連邦債務をほとんど倍増させる一方で、監督権限を行使して新たな方法で資金を調達した。例を挙げると、銀行の低投融資慣行の調査の「調停」で1000億ドル以上、ブリティッシュ・ペトロリアム社の「ディープ・ホライゾン」原油流出事故の賠償計画から2000億ドルを調達した(オバマ政権は政治上の盟友のために、ゼネラルモーターズクライスラーの「管理された経営破綻」にも介入した)。
 とはいえ、行政国家のこうしたご都合主義の処置はみな、民間部門に負担を強いて、けっきょくは成長率や雇用創出を低下させてしまう。財政の世代間格差、規制の爆発的増加、法の支配の劣化、教育機関の弱体化が合わさると、景気動向と(これから見ていくように)社会的結束の両方の「大衰退」を引き起こす。要するに、行政国家は政治的階層性が破綻に向かう悪循環の表れであり、規制を噴出し、複雑さを生み出し、繁栄と安定の両方を蝕むシステムなのだ。

下巻 P.254

 

 アントニオ・ガルシア・マルティネスはこう言っている。「シリコンヴァレーは実力主義だなどと言っているのは、思いがけない出来事を通してか、特権集団の仲間であることの恩恵を受けてか、裏で不正きわまりない行為をするかして、実力とは無関係な手段で大儲けした人間だ」。つまり、このグローバルなソーシャルネットワークは、それ自体がシリコンヴァレーのインサイダーの独占的ネットワークに所有されているのだ。

下巻 P.268

 

 

 

 

書影を見て知っていたはずだが、手に取って厚さに驚いた。超京極級。およそ400p。
開いて驚いた。情報密度の低さに。倍に詰め込んで500pで一冊かなとか思う。
バブル期とハリー・ポッターを経て出版社はこういう商売がデフォルトになってしまっている。本が出ることを有難いと思いつつ、それでもナニカを想うを禁じ得ない。

はしがきと第一部はとっちらかっていて、まとまっていない内容をごまかすために著者が誇ってやまない自らの知識量で煙に巻くタイプのスタンド使いかと思ったが、主張の方向性が示されるにつれて面白くなった。
上巻のサブタイトルは「ネットワークが創り替えた世界」だが、「ネットワーク」とはかつて「コネクション」と呼ばれたもので、人々のつながりを指す。その集中度と情報伝達の速度を軸に、歴史を解釈しなおす。イルミナティロスチャイルドを盛り込んで興味を掻き立てられる一方、欧米の歴史に詳しくない者としては勉強不足を痛感させられた。

結論に至るまでのあいだは、間違いなく楽しめた。結論がまた序文と同様の風合いをもって、とっちらかっている。
著者紹介を見るまで気づかなかったのだが『大英帝国の歴史』の著者であった。なるほど、それなら頷ける。ダブルスタンダードの極みというやつだ。
上巻の冒頭でイルミナティロスチャイルドにまつわる陰謀論を一蹴し、それらが構築し得たネットワークについて語ることで同勢力の隆盛と限界を語った。その一方で、下巻ではザッカーバーグとトランプを槍玉にあげている。陰謀論を否定した一方で、陰謀論ともとれる言葉を吐いている。

歴史の眺め方として新たな視点をもたらしてくれた一方で、さすがは『大英帝国の歴史』の著者、フェアじゃないと思うを禁じ得ない。

奴隷船の世界史

 したがって、年季奉公人制の実態は、一言でいえば「偽装された奴隷制」にほかならなかったのである。年季という制限はあったものの、労働実態は奴隷制下と変わらなかった。あるいは、ジャマイカに派遣されたある有給判事が報告したように、奉公人の状態は奴隷制のときより三倍悪くなっていることさえあった。また、奴隷制廃止後再びジャマイカに戻っていたバプティスト派牧師のニブは、奉公人たちがいまだに容赦なく鞭うたれ、幼い子どももプランテーションで労働させられている、との報告を本国に送っている。

P.201

 奴隷制貿易禁止とアフリカ分割
 奴隷船が大西洋を跳梁する時代は終焉を迎えたわけであるが、皮肉なことに、奴隷貿易禁止がヨーロッパ列強の植民地主義を正当化する理屈に組みいれられた。その先鞭をつけたのは、イギリス政府とイギリス海軍であった。シエラ・レオネ植民地の形成についてはすでにみたとおりだが、もう一度、この点をおさえておこう。
(中略)
 また、イギリスのアフリカ諸国に対してとるべき姿勢は、大人の子どもに対する姿勢と同じであるとされた。すなわち、イギリス人は「アフリカ人にとって良いこと」を決めてやり、アフリカ人にそれを課すことができるとするのである。奴隷貿易禁止はアフリカ人にとって良いこととされた。アフリカを「文明化」するという論理によって、アフリカへの介入が正当化されたのである。
 イギリスの先鞭に倣ってヨーロッパ列強は、奴隷貿易禁止の御旗をかかげ、アフリカ沿岸部から内陸に侵入していった。一八八四年、激化する植民地競争を調停するためにビスマルクの提唱によって開かれたベルリン会議では、列強一四カ国による「アフリカ分割」のルールが取り決められた。さらに一八八九年のブリュッセル会議では、奴隷貿易禁止がアフリカに対する外交政策の中心となっていくのである。

P.219

太平洋戦争への道のりとして、いつからか漠然と、遠因を黒船来航に見出していたが、近年は大航海時代にあると見なすようになっていて、大航海時代がもたらした諸々のことに半ば無意識に興味を覚えるようになった。
本書もタイトルからほとんど反射的に読もうと決意したものの、いざ手に取ってみるとそれほど強い興味は覚えず、とまどわされた。我ながら不思議な感性である。
しかし、読んでみれば無意識の選択は正しかった。どこかで「アメリカはイギリスの後継者たらんとしている」ようなことを見聞きした覚えがあるのだが、奴隷制廃止に向けて軍事力を発揮してまで意思を押しとおした英国のやり方、その一方で植民地主義大義名分として活用するやり方などを本書を通じて知ってみれば、なるほどその見解には大いにうなずけるものがある。

個人的な見解の拡大がどのあたりから始まったか明確に思い出せないが、『銃・病原菌・鉄』『新書アフリカ史』『大英帝国の歴史』などを経てここに至ったという自覚はある。

マオ―誰も知らなかった毛沢東

(一九三一年末のこと)[ひとりの役人がやってきて]手帳を取り出し、名前を読み上げはじめた。名前を呼ばれた者は中庭へ行って立って待つように、という命令だった。中庭には武装衛兵がいた。何十もの名前が読み上げられた・・・・・・わたしの名も呼ばれた。わたしは恐ろしさのあまり、全身に汗をかいていた。そのあと、わたしたちは一人ずつ尋問を受け、一人ずつ嫌疑を解かれた。たちまち、拘束されていた全員が釈放された。そして、罪を着せられるもとになった自白書類はその場で焼却された・・・・・・

 しかし、わずか数か月で、周恩来はこの緩和策に終止符を打った。ほんの短期間締めつけを緩めただけで、共産党の統治に対する批判が噴出したのである。政治保衛局の人間は驚いて、「粛清を緩和したところ、反革命分子どもが・・・・・・ふたたび頭をもたげた」と掻いている。もうこれ以上の処刑や逮捕はないだろうと楽観した民衆は、団結して共産党の命令に反抗しはじめた。共産党による統治はつねに殺人を続けていないと不可能であることが明らかになり、すぐに処刑が再開された。

上巻 P.186

★ヤルタ宣言にはこれらの条項(中東鉄道や大連と旅順における治外法権など)は日本のロシアに対する賠償として書かれているが、現実にはこれらの利権は中国からの搾取である。チャーチルは、「ソ連が中国の負担において賠償を要求するならば、香港に関する我が国の決定にも有利に働く」という観点からこれを歓迎した。話し合いが中国領土に関する内容であったにもかかわらず、中国国民政府はこの件について何も知らされず、事前の相談もなかった。アメリカは、スターリンの許可が出るのを待って合意内容を蒋介石に伝えることを約束してスターリンに振り回され、しかもそのあと蒋介石から承諾を取り付ける交渉役を引き受けて、ますます自分の首を絞める愚を犯した。結局、蒋介石アメリカからヤルタ会談の合意内容について通告を受けたのは、会談から四ヵ月以上も経過した六月一五日であった。これは同盟の相手国をあまりに軽視した扱いであり、後日に禍根を残した。

上巻 P.474

 中国軍は唯一の強みである数の利を生かして、「人海戦術レンハイチャンシュー」で戦った。イギリス人俳優マイケル・ケイン朝鮮戦争に徴兵された経験があり、著者のインタビューに答えて、自分自身も貧困家庭の出身だったので朝鮮戦争に出征するまでは共産主義に共感を抱いていた、と述べた。しかし、戦場での経験から、ケインは共産主義に対して永久に消えない嫌悪を抱くようになった。中国兵は西側の弾薬が尽きるまで次から次へと波のように押し寄せてきたという。それを見て、ケインの頭に抜き難い不信が生じた。自国民の生命をなんとも思わない政権に、どうしてぼくへの配慮など期待できようか、と。

下巻 P.68

 わずか二年前に大飢饉があり、そのつらい記憶も癒えない時期だけに、エリートの中には原爆にどれほどの金がつぎこまれたのだろうと考える者もいた。政府もそうした疑問の重さを感じており、周恩来は上層部に対して、中国は非常に安いコストで原爆を製造できた、わずか数十億元を使っただけだった、と話した。実際には、中国の原爆には四一億ドル(一九五七年当時の価格)が投下されたと推定されている。これだけのドルがあれば、すべての中国人民に二年間にわたって一日あたり三〇〇(キロ)カロリーを余分に供給するだけの小麦を買うことができる――大飢饉で餓死した三八〇〇万近い人民全員の命を救うのに十分な量だ。毛沢東の原爆は、アメリカが広島と長崎に落とした二個の原爆が奪った人命の一〇〇倍に相当する中国人民の命を奪ったわけである。

下巻 P.269

 一九七四年、毛沢東は自分を世界のリーダーとして売り出すべく最後の試みに出た。こんどは軍事力ではなく、毛沢東が中国こそ世界第一位だと胸を張れる分野、すなわち貧困を売り物にする作戦だった。毛沢東は「三つの世界」という新しい概念を提唱し、ソ連を除く貧困諸国を「第三世界」と呼んで、自分こそ第三世界の盟主とみなされるべきである、と強く示唆した。たしかに、毛沢東は漠然とした意味で第三世界のリーダー的存在とはみなされたかもしれないが、第三世界の国国は毛沢東の命令に従うつもりなどまるでなく、毛自身も確たるリーダーシップを発揮したわけではなかった。それに、「第三世界」の概念など、鼻っ柱の強い某アメリカ人外交官が指摘したように、「だからどうだというのだ?」という程度のものだった。

下巻 P.504 

本書に至った遠因は多分、少林寺拳法の教範かなにかに、毛沢東の言葉が記載されていたことであろう。
毛沢東という人物の名を初めて知ったのは小学校だか中学校だかの教科書で、その時になにか強い印象を得た記憶はない。どこで強い印象を得たのか忘れてしまったが、その印象は大躍進政策または文化大革命とセットで、もの凄い数の死者を出した独裁者であったというふうに得られた。それゆえ、なおいっそう、少林寺拳法が言葉を引用したことに違和感を覚えたわけだ。中国との国交回復を働きかけていたというから、なにか事情があったのかもしれない。

天文学的」数字というと、個人的には京あたりからかなと思っていた。調べてみたら、兆、場合によっては億からという見解であるらしい。本書の上巻は「天文学的」という表記が頻出する。その幅は二〇〇万元から二〇〇〇億元で、これは中国に属するある習慣を思い出させる。都合の悪い数字は三分の一に、都合の良い数字は三倍にするというものだ。

下巻、筆致が冴えわたって、一部小説風になる。著者が、毛沢東の思いを代弁する。『ワイルド・スワン』を読んでいないので、著者がどのように自身を総括したのか知らないのだが、紅衛兵もなにもかも、全ては毛沢東が悪いということにしないとそんなにも都合が悪いのかと勘ぐってしまう。

これらのことから、本書の内容はそれなりに割り引いて受け止めることにした。
だとしても、本書の主人公がゲスでクズだということには変わりない。本書は非常に面白いのだが、主人公が胸糞野郎なので、読むのが辛いという矛盾を抱えている。本書に記されているようなことをやらかしているのに生き延びて大往生ともいえる最期を迎えられた理由が全く分からない。声のでかいやつが強かったということか。

 『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』でも感じたことだが、スターリン無双すぎ。本書の記述からは、ほとんどなんでも手玉に取っていたように見える。
そのスターリンさえ、毛沢東はわりとうまく転がしていたという。ホントかいな。

『ザ・コールデスト・ウィンター』ではすっきりとしなかった朝鮮戦争の発生理由、こちらは手をつけようと思ってまだ果たせていなかったベトナム戦争が泥沼化した理由、双方について本書は見解を述べている。裏を取るまで、当座の事実としておいとこう。

二十世紀の出来事について幾つか本を読んできたが、どれを読んでも思うのは、アメリカのしでかし感である。余計なことばっかりしてる。なんでだろう。後世の視点だからか。かなり感情的にやらかして、事後により大きな問題を残して颯爽と去っていく。そんな印象しか抱けない。