でぃするだいありー?

そんな気はないんだれど、でぃすっちゃってる。 でぃすでれ?

犬王

Devilman Crybaby』を見たのは永井豪原作が好きだからであり、『四畳半神話大系』のアニメ版によい印象をもったからである。だが not for me だった。

『犬王』公開の報を知ったとき、見てみようと思った。『Devilman Crybaby』の痛手は冷めやらぬけれど、もう一度くらいは量ってみるべきだと。
その当時「あの花が咲いたのはそこに種が落ちたからで」の名OPではじまる『平家物語』を見た。オリジナルエピソードを力強く描き、史実的なことを登場人物のセリフで説明する作風で、それを見て『犬王』は見なくてもいいかという気になった。

サブスクで見る機会を得て、『Devilman Crybaby』はなにかの間違いではなかったと確認できた。本作品は『天使のたまご』『御先祖様万々歳!』的なもの、内側を向いたものである。
ビジュアルは素晴らしい。しかし、物語は雑で、2分で語れる内容をミュージカルで引き伸ばしたもので、だから最後は「犬王」「友一」を互いに連呼していいカンジにまとめようとする無様を晒す。作り手の自慰は得てしてそんなふうになる。

2022年秋アニメ

視聴開始した順に。
オバロの感想だけ書いたのでは、特筆事項と見えてしまう。未来の自分に向けて。

リコリス・リコイル』

主人公以外の登場人物らの解像度がやけに低く感じられる。あと、話がおかしい。なので10話で切った。
ポリコレを揶揄するかのような表現は面白かった。

『水星の魔女』

とりあえず視聴は続けているが、ゲーム・オブ・スローンズ式あるいは週刊少年ジャンプ式に見えて話として筋が通せるのか1クール終了時点では不明。
楽しめてはいない。

『アークナイツ』

メインストーリー3章までの内容。メインストーリーは7章時点では週刊少年誌購読層向けの内容で、好みではない。3章でおもしろくなる、4章で、いや5章でという評を見ていたが一向に面白くならず、サイドストーリーで息してた。個人的には8章で、かつ石棺が登場するあたりから面白くなった。JT8-3がクリアできていないのでそれ以後はまだわからない。
ゲームだけではわからなかったこと、特にドクターについてなにもわからないので補完する意味で視聴を開始したが、ドクターについてはなにもわからなかった。
特筆すべきはスカルシュレッダーで、ゲームではどちらかというと嫌いなキャラクターだったのだが、アニメで評価が反転した。
アーツという、老若男女を区別しない能力を有する敵対者に対しては微塵も容赦できないという現実は、ホシグマという理性の持ち主をしてスカルシュレッダーに全力で対峙させる描写でこの上なく表現されている。その折に描写されたスカルシュレッダーの体重の軽さがひとつ。
アーミヤのアーツによって死に至る直前の描写がひとつ。死に際に叫ぶという描写はわかりやすいのだろうか、劇的であるのだろうか。なんであるにせよ、それによって感情をかきたてられることはほとんどない。スカルシュレッダーの死に際は真逆で非常にツボった。
円盤買う。

『ぼっち・ざ・ろっく』

ボトルネック奏法がエモい。
第一話冒頭五分で挫折すること二回。そこで諦めなくてよかった。
なんで挫折しそうになったかというと、ぼっち描写に飽きてたから。転生もののいくばくか、昨今見かける漫画のいくばくかは友達いない系や学校つらい系で、個人的経験と乖離しすぎてて世界はそんなに辛いのかい?という気持ちになりすぎた。

オーバーロードIV』

別記事に記したので割愛。

オーバーロードⅣ

原作小説は、当時最新刊だったドワーフ王国のくだりまで読んだ。

アニメはIIIでもういいかなと思ったのだが、念のため、IVも見ることにした。状況を推し進めるエピソードが含まれていたため、放棄せずにいてよかったといえる。
しかしながら、こんな小出しに進められていくならば、きっと生きている間に終わりを見ることはできまい。そんな風にも思える。

IIIで切ろうと思った理由は、絵にある。
物語の調子と絵がマッチしていない。キャラはアニメ調でもいいが、せめて武装はもっとなんとかならんかったのかと思う。売れてる作品でも予算はケチるモードか。
そのせいもあってクライマックスがとてもチープにみえて、とてもがっかりした。

小説にはないアニメ独特の調子とでもいうべきものがある。イベント消費感とでもいえようか。個人的には物語の主軸をのぞいては全く楽しめていない。村の事情とか部族の事情とかどうでもいい。「楽しめていない」こととはまた異なる感覚だ。
ともあれ小説は物語として読んでいた。アニメはイベントがこなされているという印象だ。つまらないとか、原作と違うとかいうことではない。こんな感覚は初めてのことで、気のせいかもしれない。
裏事情などまったく知らないが、なにか制約があったりするのかもしれないと思ったり思わなかったり。

アークナイツ雑感

3ヶ月目の雑感。

タワーディフェンスを嗜好するならはまるであろう。
構成要素が追い立てるように機能するので「もっと遊びたい!」感で課金させる系でもある。
FGOでいうところのサーヴァントはこのゲームではオペレーターという。高レアリティのオペレーターもまた重要な課金要素となるであろう。

育成要素は入れ子構造になっていて、ディレイ要素となっている。これは我に返らせる要素と感じる。育成要素が重く、楽しみを上回るのは課金ゲーの運命であろう。
フレンドリストを見ると、一ヶ月に三人くらい我に返ってる観がある。

物語。
メインストーリーはジャンプ漫画のごとく。ドクターがあとづけ要素に感じられて、居場所がない感じ。傍観者ですらない。アビサルハンターを主にした物語がまずあり、それがあまりにアレだったので、裏筋でありもう一つの大筋であったケルシー話にヒロインを添えて、アーミヤを主人公とする物語に変更した――と妄想している。
様々な形で用意されているサブストーリーのほうが個人的には楽しめている。

ゲームバランスがよいかどうかはさておき、低レアのオペレーターでもある程度はがんばれるという実感はある。継続するかどうか迷いながら遊んでるプレイヤーはこれが一つのポイントになるはずだ。高レアは育成の負荷が半端なく、1キャラを昇進2レベル80特化3にしたところで燃え尽きたかとおもった。FGOで育成に苦労していたのははるか昔のことなのでうろ覚えだが、それでもFGOよりは楽であると思う。
低レアのオペレーターを育てつつクリア動画見ながらでもいいからゲームを学び、手持ちで工夫していく。とにかくコストがかかるので、嫌にならないようにするにはクリア動画を活用するのが重要だと思う。初期に与えられるボーナスはあっという間に使い果たしてしまうから。

2022年秋アニメに思うこと

水星の魔女

まどまぎのようなウソコOPで、このミオリネさんはミオリネさんの心の中のミオリネさんなんですかね?

ということはさておき、この物語がくどいほどに繰り返し叫んでいるのは「ガンダムを作ることの難しさ」である。こちらはどうでもいい。かつては宇宙世紀に連ならないガンダムガンダムの名を冠する必要があるんですかねとか思いもしたが、もうどうでもいい。

社会問題っぽいものをなんかそれっぽいカンジで描く作品がたまにある。ぱっと思い出せるのは『東のエデン』。一般的であろうと思わせつつ、しかし、一般的ではないと思わせる描写や主張に見えることがある。きっと、アニメ制作界隈の一般なのだろうなあ、と。エヴァもそうかもしれないが、あれはもう私小説でよかろう。

そんなものが感じられてしまうと、どんなViewで世界見てんだろうなって思ってしまう。

チェインソーマン

原作未読。一話読んで完結したら読もうかなとか思ったように記憶している。

現時点ではまだなんともいえない。ノリとイキオイの作品であろうかと、七割がた思っている。

洋画で見かける「馬鹿っぽいけどクールなセリフを吐く奴」、デンジはそのポジションだが、16歳という若さと、教育を受けていないらしいバックボーンがちぐはぐに感じられる。クールなセリフを吐くのに教養は不要かもしれないが、語彙には教養は不可欠であろうと思うからだ。

たぶん、ノリとイキオイの作品なんだろう。

がっかり文学作品メモ

青空文庫を検索できるサイトで30分以下で読めかつ星3評価の条件となる作品を一通り読んで、いつからか持病になってしまった文学忌避症が寛解したと思われたため、1時間以上かかる作品にも挑戦してみることにした。
楽しめるものもあったが、ここには記さない。そうでなかったもの、特にひどくがっかりしてしまったものを記していくことにする。

 

2022.06.10 森鴎外舞姫

主人公がクズすぎるので調べてみたら著者の体験をもとにしているらしいと知れ、そのもととなっているエピソードがアレすぎて二重にがっかり。

2022.06.14 夏目漱石『こころ』

それと思える腰の定まらなさ、著者の変心が見受けられたため、調べたら連載作品だった。最初に登場した外人なんだったの?

2022.06.某日 イワン・ツルゲーネフ『はつ恋』

世界に名だたる文豪・文芸作品が、どんな初恋を語って聞かせてくれるのだろうと、胸ときめかせたわけだが。
イケメンは正義という、有史以来のあたりまえに直面させられただけだった。

2022.06.某日 アーネスト・ヘミングウェイ老人と海

うだうだと自分を鼓舞していくくだりを挟んで、静かな前段と余韻は心地よい。
あいだの部分が問題で、『課長王子』でギターを弾きながら悦に入って自分語りをしている主人公が大好きならきっとフィットするであろう。
そうでない読者にはとても苦痛だった。

2022.07.07 チャールズ・ディケンズ『クリスマス・カロル』

1843年出版の作品に、これほどまでにわかりやすく幻想的な著述がなされていたことに驚きつつ。スクルージの改心こそが主題であろうが、その前提に疑問を抱いてしまい、得た驚きを素直に楽しめなかった。
ひとつは、高利貸しは死者から追い剥ぎするような輩よりも悪であるのかということ。悪の改心が主題であるならば、スクルージよりも、古道具屋に死者から奪った盗品を売りさばいた連中のほうがよりふさわしかろうと思われる。救われない最期を修飾するためだけの存在だとするならば、高利貸しをでぃするだけの物語と読めてしまう。当時の感覚あるいは西欧の感覚では、高利貸しは問答無用に邪悪の筆頭であるということだろうか。
ふたつめは、地獄を見せて悔改めよという宗教の図式である。
非常によい幻想の物語であったが、主題に首を傾げてしまった次第。

2022.07.29 マリー・ウォルストンクラフト・シェリー『フランケンシュタイン

原題"FRANKENSTEIN, OR THE MODERN PROMETHEUS"。
現代のプロメテウスたるフランケンシュタインは、火、すなわち怪物の秘密を人類に秘匿したまま世を去った。タイトルは回収している。しかし――
語りは話し言葉や手紙および一人称によるもので、そんな話し方、そんな書き方はあるまいと思わせられがちな叙述である。一人称は大目に見るとしても、これが絶望的に感性にあわなかった。
ジェイソンしかりゾンビしかり、ホラー映画の怪物はご都合主義的全能を示す。少なくとも1800年代初頭にはその系譜はあったと読める作品でもある。あるいは「いわゆる少女漫画」の系譜でもあろうか。少女漫画の主人公というか著者の庇護を受けた登場人物は属性が山盛りになりがちである。怪物、盛られすぎ。
最終局面に至っては、壮大なBLかとも見紛った。あるいは、創造主に対する人類の甘えが創造主を殺した・・・または沈黙に陥れたと見ることもできるかもしれない。
――語り口調で物語られる作品でなければ違う印象もあったかもしれない。

2022.08.09 夢野久作ドグラ・マグラ

ビジュアルが脳裏に浮かぶ文章というか。これは評価すべき点かもしれないが、そのために読めと薦めることはできない。
呉青秀のエピソードに到達するまでものすごく退屈でつまらない。『百鬼夜行シリーズ』の読み味に似ている。妖怪化した事象に説得力をもたせるための場を整えているつもりなのだろうが、ノれない読者にはひたすら辛い。
謎解きパートもザ・ミステリーってカンジですごいバカみたい。
結末は浦沢直樹の『MONSTER』のごとく。『MONSTER』は「は?」ってなったが、本作はならなかった。ゆえに、あとあじは悪くない。
手塚治虫荒木飛呂彦藤田和日郎など、これまで読んできた漫画作品が読中脳裏をよぎっていったことが幸いしてるのかもしれない。

2022.08.22 山本周五郎『さぶ』

『英二』というタイトルであれば、拒否反応が出なかっただろうか。いや、物語の結末も差し迫った段階での卓袱台二段返しがある限り、いかなるタイトルであろうとおなじであろう。オチがああである限りは受け入れることはできまい。つぼの蓋の裏に秘事を書いた男がなにごともなかったかのように訪ねてくるってのは、当時ならアリな振る舞いだったんスかね。

タイトルから察せられるのは、BL作品を書こうとしていたのではないかということである。連載作品であり、わりと初期に方針の大転換があったように見受けられることから、タイトルとは無縁の内容になってしまったのであろう。
『樅ノ木は残った』が「ん?」ってカンジだったので、もう一冊くらい読んでその印象が改まるかどうか確かめてみようとしたが、山本周五郎はどうもあわないようだ。

2022.08.31 フランツ・カフカ『変身』

読後、まったくわけわからんかった。
とある解説によると著者の来歴と対照すると解釈できるようで、そういう背景があるならと得心することもできるが、それって作品としてどうなの、とも思う。

ラーゼフォン

オンエア時にはアニメ情報を積極的に摂取していなかったから、ライディーンのリメイクあるいはオマージュであることも知らなかった。だから、

――はいはい、エヴァクローンね。最初はそんなふうな感想を抱いた。しかし、
――あれ? これ、ライディーンなのか? いつからか、そんなふうに思うようになっていた。

初回観賞時の、ひょっとしたら二度見ているかもしれないが、それが本作品に対する評価である。ライディーンのリメイク作品かもしれないと思っても、『子供たちの夜』や『ブルーフレンド』のような特筆すべきエピソードがあったとしても、おして見直したい作品ではなかった。だから強いて調べもせず、裏設定とかも知らない。
それが近頃まで続いていた。

積年の念が重い蓋を押し上げて、エヴァクローンではなく、ライディーンのリメイクという目線で見てみようという気になった。

20話あたりから気持ちわるくなる。最終話に向けて加速度的に気持ち悪くなっていく。一貫性をもっているのが紫東遙の想いだけしかないという、物語の構造の悪さだけではない。また、初回には感じなかったことである。

勇者ライディーン』オンエア当時はUFOとかネッシーとかムーとかアトランティスとかノストラダムスの大予言とか流行っていた。大雑把にまとめるとオカルトと呼ばれるものである。
オンエア当時、つまりは幼少の頃、『勇者ライディーン』のムー的成分は神聖なものとして受け止めていた。そうではなく、オカルト的なものとして解釈したとしたらムーリアンになるのかもしれない。そんなことを思いついて、ようやく気持ち悪さは消えた。

名の知れない感情は居心地が悪いということだ。解釈違いなら仕方ない。

not for me.